皇女神社(横浜市栄区公田町)

2023.05.18[ 神社 ]

皇女神社(横浜市栄区公田町)

葛原親王の皇妃・照玉姫を祀る神社 皇女神社(横浜市栄区公田町)

葛原親王の皇妃・照玉姫を祀る「皇女神社(横浜市栄区)」。「皇女御前神社」とも呼ばれているようです。

葛原親王(かずらわらしんのう)は桓武天皇の皇子であり桓武平氏の祖ともいわれる皇族。その妃だった照玉姫が病に倒れ、看病の甲斐なくこの地で亡くなったと云います。時は下り文禄元年(1592年あるいは1593年)、信永という僧侶がこの地を訪れた際に姫の遺徳を知り、姫の御霊を勧請し社を建立したのが神社の起源だと伝わっています。

『皇女神社の由来について』と書かれた案内板の「縁起」には、以下のように記されています。

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照玉姫は葛原親王の皇妃で、往昔親王に従って東国に下ったが天長元年9月28日(西紀824年)当地で死せられた。里人達は嘆き悲しみ、懇ろに葬り塚を造営した。此の塚を皇の御前塚又は、女臈塚と呼んで、永く姫の遺徳を慕っていた。文禄元年2月信永と云う僧侶が当地を訪れた際、姫の遺徳を知り、社を建立して其の霊を勧譜したもので、又当時姫の侍女であった相模の局、大和の局の2人が姫の死後尼となり塚守となっていたが、相ついで両名とも死去した。里人は、これを姫の塚の傍に葬り両塚明神として崇めたと伝えられるが、現在両塚の所在はあきらがではない。(以上皇国地誌による)
これは、今をさかのぼること400年前の事である。以来、私達の祖先は、10月1日を例祭日と定めささやか乍らお祭りを奉納していたが、明治42年7月に至り桂村公田村地内の小社4社が神明社に合祀され、皇女神社の地も神明社の所有となったが、当地の人々は尚姫への遺徳偲びがたく、大正2年原家(当時吉五郎)の家敷続きの山林の一角を借用仮社殿を造営して神明社より神体を分祀し、毎月1日、15日には必ず参拝し、又家々の喜びも悲しみも総てを神前に報告したものである。昭和5年7月に至り氏子12名が相寄り資金を放出して、金80円也で神明社現社地を買い戻し、昭和12年9月お社を現在地に遷したもので、其の間氏子は勿論、近隣からも信仰厚く、日清日露戦争近くは太平洋戦争の際は、多くの人々が願掛の為参拝した。

平成4年10月 氏子中

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御祭神は、照玉姫。

最寄駅は、JR根岸線「本郷台」駅。徒歩約15〜20分ほど。

地図を見ながら近くまで来ると、こんな看板が。きっと迷う方が多かったんでしょう。。

看板の右手を見ると、民家の間の細い道の先に鳥居が。

もともと周囲は畑だったのかもしれませんが、現在は住宅街になっています。

鳥居と社殿を正面から。

MAP

神奈川県横浜市栄区公田町1530

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