島守神社(稲城市押立)
2022.06.08[ 神社 ]
押立・向島の守り神として祀られていた「島守神社(稲城市押立)」。
創建年代は不明ですが、江戸時代後期には神明宮として祀られていたと伝わっています。
現在神社のある一帯は、もともとは多摩川対岸の北多摩郡多磨村押立(現在の東京都府中市押立町)の一部だったのですが、江戸時代にあった多摩川の氾濫による流路の変更によって現在の稲城市側と地続きになり、飛び地となったという経緯があります。「向島」や「川向新田」とも呼ばれていました。社名の「島守」は、この飛び地(向島)の鎮守、という意味も込められていそうですね。
境内にある『島守神社の歴史』と書かれた案内板には、以下のように記されています。
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島(嶌)守神社は、天照皇大神ほか二神を祀る社です。
元々押立は対岸府中に属し江戸時代には府中龍光寺の持ちでした。
寛文年間(一六六一〜七二)の洪水で流路が変わり南北に二分されました。
江戸時代には、村の西はずれにあり神明宮と呼ばれ、御村押立上関無格社嶌守神社と位置づけられていました。
明治十五年(一八八二年)に現在の場所に遷ったといわれています。
江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」には、村内の向嶋という所にあり天王様と呼ばれていたことが記されています。
建物 拝殿は大正七年(一九一八年)に火災により被害を受けましたが本殿の造りが明治のものと推定され、本殿自体は全焼を免れた。
本殿の構造は総ケヤキ造りの三間社流造こけら葺きで建築当所の形状をよく伝えています。二年後の大正九年に再建されました。
昭和六二年(一九八七年)に拝殿を兼ねた鉄筋コンクリート造りの社殿を新たに建立、平成元年に落成されました。
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御祭神は、天照皇大神、素戔嗚尊、秋葉大神。神明宮でありながら「天王様」とも呼ばれていたことから、早い時期に神明宮・天王社・秋葉社が合祀されたのかもしれません。
最寄駅は、JR南武線「稲城長沼」駅、あるいは「矢野口」駅。
鳥居側からの神社全景。
正面の鳥居。
拝殿。
川からすぐのところにあるからか、「高床式」というか、2階建てのような構造です。
拝殿脇にある御由緒板。
境内の石碑群。
MAP
東京都稲城市押立678