西森稲荷神社

2019.01.04[ 神社 ]

西森稲荷神社

古くから地域の鎮守神として崇められてきた神社 西森稲荷神社

古くから地域の鎮守神として崇められてきた「西森稲荷神社」。

創建年代は不明ですが、江戸期より前よりこの地に祀られていたと思われます。御由緒については、神社に掲示されていた内容を以下に記します。

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西森稲荷神社は古くは蒔田稲荷、大原稲荷として農耕食物の御神徳与える豊受大神を奉斎してきました。江戸の時代においては除地として租税免除の区域とされ、明治の時代に神仏混合分離制度また神社合祀令発布により杉山神社(南区宮元町)に合祀される事となりました。
ですが小串藤吉をはじめとする氏子の人々の夢枕に先の御神託が告げられました。
『数百年来のこの地を離れることを惜しみ合祀により廃社すると云えども神霊はなおこの地に静まり給う』
御神託を受け蒔田町の有志らが合議を重ね旧文部省教会所制度に改めて官許を得、西森稲荷大神を奉斎し、杉山神社神職がこれを兼務する形となりました。
当神社の御神徳の評判は遠く房総方面にも響き、それを証明する供物や日清戦争の戦勝祈願の記録を現在に伝えています。
また1923年(大正12年)の関東大震災では大岡川・中村川流域が八割以上の全壊に見舞われたにも関わらず奇跡的にも当社区域は類焼を免れました。
また別の時代には神狐の声に目を覚ました神職が山上の神殿に火災の類が及ぶのを未然に防いだ事もありました。
以下は当時の人々が西森稲荷大神の御神威を崇敬した言葉であります。
思うに一に祈願信仰者の真心によって、また稲荷大神の御神徳霊験の顕著なるを知るべきなり
かくの如き広大無辺極まりなき御功徳の大神がいらっしゃるならこの世の生きとし生けるもの全てが大神の御加護を受け、人々がその御威光を仰ぐだろう
昭和11年に当社氏子崇敬者たちにより記す

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明治期に合祀されたものの地域の皆さんのご尽力によって復興したんですね。

御祭神は、豊受大神。

現在は金刀比羅大鷲神社の兼務社となっています。

最寄駅は、横浜市営地下鉄ブルーライン「蒔田」駅。徒歩5分ほど。

民家の中の細い路地の先に鳥居が見えます。

大鳥居。正面の建物は(少なくとも現在は)拝殿ではありません。

鳥居の先を右に向かうと、拝殿へ続く登り坂が現れます。そこまでも、お狐様がいっぱい。

参道(登り坂)の途中にも祠がいっぱいあります。私は動物に詳しいわけではないのですが、、この写真を撮った際、木の上にいたリスらしき生き物を見かけました。こんな場所にリス?と思ったのですが、あの大きさ、あの尻尾は私の中では「リス」です。。

拝殿の横に掲げられている御由緒。

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