西久保八幡神社
2017.02.14[ 神社 ]
お江が「関ヶ原の戦い」の戦勝を祈願した八幡さま
西久保八幡神社
源頼信が石清水八幡宮を勧請して平安時代に創建されたと伝わる「西久保八幡神社」。
当初は現在の霞ヶ関近辺にあったようですが、太田道灌の江戸城築城に際し現在地に遷座しました。
「西久保」は鎮座したこの地の当初の町名「西久保町」から。西久保町は江戸中期に「神谷町」に改称されました。最寄駅である地下鉄「神谷町」駅は地下鉄開業当時のこの町名から名付けられました。ちなみに住所としての「神谷町」は、昭和52年に虎ノ門に編入されてなくなりました。
徳川二代将軍徳川秀忠の妻・お江が関ヶ原の戦いでの勝利を祈願し、その報賽として家光の代に社殿及び御神体が奉納された歴史を持ちます。
その後二度にわたる火災によって宝物・旧記等は全て焼失したそう。それでも江戸時代から「江戸八所八幡宮」のひとつとして庶民にも慕われていました。
しかし昭和20年、東京大空襲によってまたも焼失。苦難の歴史を辿ってきた神社です。現在の社殿は昭和28年に再建されたもの。
御祭神は品陀和気命、息長帯比売命、帯中日子命。他とは字が違いますが、順に応神天皇、神功皇后、仲哀天皇のこと。
源氏と徳川将軍家に所縁のある神社としては現在の境内はやや物悲しさを感じる雰囲気ですが、神社のサイトによれば東京大空襲で焼失したままだった大神輿が2015年に復興したとのこと。江戸の頃の賑わいがまた戻ってくるのかもしれません。