成宗白山神社(杉並区成田東)
2024.11.17[ 神社 ]
旧成宗村白幡の鎮守としてお祀りされていた「成宗白山神社(杉並区成田東)」。
創建年代は定かではありませんが、一説には近隣の大宮八幡宮や尾崎熊野神社と同時期の、平安時代後期ではないかとも云われています。古くから旧成宗村白幡の鎮守としてお祀りされていました。
杉並区教育委員会による案内板には、以下のように記されています。
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当社は旧成宗村字白幡の鎮守で、祭神は伊弉册命です。
「白幡」の地名は、後冷泉天皇(在位1045~1068)の頃、奥州征伐に向かっていた源頼義が、創建前の大宮八幡宮付近を通過した際、白幡のような白雲があらわれたため、一社を勧請し、白雲があらわれた場所を「白幡」と名付けたといわれています。
また成宗村については、永禄2(1559)年の「小田原衆所領役帳」に「一 島津孫四郎 (中略) 弐拾壱貫文 永福寺 沼袋ニモ有之 成宗ニモ有之 目黒内ニモ有之」とあり、中世期の成宗一帯は小田原北条氏の所領であったことがわかります。この成宗村は江戸時代に幕府領になるまで旗本・岡部氏の知行地となっていました。なお、かつて「白幡」は、一時期、和田村に属していました。
また「新編武蔵風土記稿」には「除地六畝東南ノ方 小名白幡ニアリ 社ハ二間半ニ二間南向 社ヨリ十二間ホト隔テテ鳥居ヲタテリ」とあり、江戸時代には村内の宝昌寺が別当職を務めたといわれています。
現在は境内末社に御嶽神社・稲荷神社・金刀平神社・第六天神社の四社を合殿し、社殿(昭和47(1972)年新築)、社務所(昭和55(1980)年新築)、神輿庫などが備えられています。
また、境内からは古墳時代の土器等が出土しています。
令和6年3月 杉並区教育委員会
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現在は大宮八幡宮の兼務社となっているようです。
最寄駅は、京王電鉄井の頭線「西永福」駅。徒歩約15分ほど。
南側にある入口。こちらがいわゆる「正面」になります。
階段を上がったところにある石鳥居。
鳥居をくぐったところからの眺め。
拝殿。
境内社の白幡稲荷神社。
境内の風景。
こちらは、東側にある神社入口。
MAP
東京都杉並区成田東2丁目2−2