中嶋神社(三鷹市中原)

2025.05.04[ 神社 ]

16世紀末に創建された稲荷社が起源 中嶋神社(三鷹市中原)

16世紀末に創建された稲荷社が起源と伝わる「中嶋神社(三鷹市中原)」。

もともと中仙川村内・古宮山に1557年(弘治3年)に勧請・創建された稲荷社と、同じく村内麻生屋敷に創建された稲荷社を、1598年(慶長3年)に現在地に現在地に遷座し合祀したのが起源と伝わっています。「稲荷大神」として長く崇敬されてきましたが、1873年(明治6年)に村社になった際に現在の「中嶋神社」に改称されました。

境内に掲示されている御由緒板内の『由緒』には、以下のように記されています。

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一、奥宮は元禄年間に土地の崇敬者により建設される棟札に元禄の記入あり
一、明治六年十二月村社に列せらる
一、昭和二十九年四月一日宗教法人法による設立登記完了

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現在の御祭神は、宇迦之御魂神・大己貴命。

現在は國領神社の兼務社となっているようです。

最寄駅は、京王電鉄京王線「つつじヶ丘」駅。徒歩だと20〜25分ほどでしょうか。。

中嶋神社(三鷹市中原)写真

神社外観。桜の季節にお詣りできました。

中嶋神社(三鷹市中原)写真

正面の鳥居。そのすぐ奥に石造りのニノ鳥居があります。

中嶋神社(三鷹市中原)写真

境内の御由緒板。

中嶋神社(三鷹市中原)写真

ニノ鳥居付近からの境内の眺め。

中嶋神社(三鷹市中原)写真

拝殿。

中嶋神社(三鷹市中原)写真

境内社。右が須賀神社、左が稲荷神社。

中嶋神社(三鷹市中原)写真

境内の富士塚。富士嶽神社としてお祀りされています。

中嶋神社(三鷹市中原)写真

境内社の厳島神社。

中嶋神社(三鷹市中原)写真

境内の奥にある「中仙川不動堂」。案内板には、以下のように記されています。

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江戸開府当時、青山百人組の給地であったこの地は、慶長十九年(一六一四)大阪の陣の軍功により、柴田家の孫勝重に与えられ後北条時代の土着支配にかわって江戸を中心とする徳川幕府の新たな支配体制の中で村落を形成した。
この不動堂の濫觴については詳らかでないが、『新編武蔵風土記稿』の『中仙川村』の記録によれば、『堂地三畝十歩、年貢地三間四方、西原にあり、立身の木像、長さ二尺余慈覚大師の作なりと云、別当大行院、堂の側にあり富永山と号す、本山修験、小田原玉龍坊の配下、佐々木の後商にて、鼻祖は富永勘解由左衛門と云しよし……云々』とある。住昔よりこの地に文珠院という修験者がおり、元禄の頃から大行院慶元という修験者によってその名も大行院と改められた。
また、文珠院時代からの宝物として、新田義貞の手旗(萌黄錦地五色、長さ二尺ニ寸)と、義貞の部下で屈指の強兵といわれた篠塚伊賀守自筆の、鎌倉追討に際しての願書(元弘三年<ー三三三>五月)が所蔵されていたと同書に記されているが、その所在は今日も不明である。
現不動堂は間口二間、奥行三間で昭和四十年(一九六五)五月再建された、堂内には、
不動明王像 不動明王及び二童子像
摩多羅神像 烏枢沙摩明王像
役行者及び二鬼像 など
五体の尊像が守護神として合祀されている。

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MAP

東京都三鷹市中原3丁目4-4

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