牟礼神明社(三鷹市牟礼)
2025.05.17[ 神社 ]
戦国時代に江戸城主・北条綱種によって創建されたと伝わる「牟礼神明社(三鷹市牟礼)」。
1537年(天文6年)、北条綱種がこの地に砦を築いた際に、飯倉神明宮(現在の芝大神宮)の御分霊を勧請し創建したと伝わっています。北条綱種の子・康種は後にこの地に居を構え、牟礼村を興しました。
境内に掲げられている、牟礼郷土史研究会による御由緒板内の『由緒』には、以下のように記されています。
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この神明社は牟礼の開祖、北條常陸之介康種(牟礼の開村は天正十八年 西暦一、五九〇年)の父北條治部少輔治綱種(本氏高橋将監種政、北條早雲に養育さ
れ軍師多目氏に従学し伊豆韮山城に住んだ。北像左京大夫氏網の時、大道寺方に配属され江戸城を攻略した。戦功あって御猶子に准ぜられ家号を賜い、北條常陸之介綱種と改め相州甘縄の城代となる。北條氏康の命あって治部少輔と進んで武蔵国の鎮衛の司として江戸城主となる)
大永四年正月 西暦一、五二四年 小田原北條氏は江戸城の上杉修理大夫朝興を攻略した。上杉氏は川越に敗走天文六年四月河越城に没した。五郎朝定は父の遺志を継いで江戸城を復さんと図る。天文六年七月老臣難波田弾正を以って深大寺城に出陣。主命あって綱種は江戸城を進発し深大寺城に対峙して砦を築く。天文六年十一月十五日 西暦一、五三七年 綱種は陣内鎮護のために芝の飯倉神明宮の御分霊を勧請し高番山(現在地)に祀る。合祀された稲荷神社は往年村人の結衆に依って稲荷山(高山)に祀られていた。明治元年大政官布告神仏判然令に基き氏子の総意に依って合殿された。
以上が牟礼の鎮守と祟められて今日に至るを略気する。
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御祭神は、天照大神。合祀神として、倉稲魂命。御由緒板によると、こちらの神社では「くらしねたまのみこと」と読むそうです。
最寄駅は、京王電鉄井の頭線「三鷹台」駅。徒歩約10分ほど。
神社外観。西側からの眺め。
社標と、入口の石段。
最初の石段を登ったところにある鳥居。社殿はもう一段上がったところにあります。
拝殿。
参道の狛犬。
境内の御由緒板。
境内社。三峯神社と榛名神社がお祀りされています。
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MAP
東京都三鷹市牟礼2丁目6−12