三穂道別稲荷神社(江東区清澄)

2025.01.07[ 神社 ]

三穂道別稲荷神社(江東区清澄)

ふたつの神社を合祀してできた稲荷社 三穂道別稲荷神社(江東区清澄)

深川海辺大工町裏町にあったふたつの神社を合祀した「三穂道別稲荷神社(江東区清澄)」。

三穂稲荷は、1596年(慶長元年)創建と伝わる神社で、社地が三坪ほどだったことから「三坪稲荷」とも呼ばれていたそうで、それが後に「満穂稲荷」となり、やがて「三穂稲荷」になったとのこと。道別稲荷は、長禄年間(1457〜1460年)の創建とも伝えられている神社で、三穂稲荷とは隣り合わせにあったと云います。この二社を1965年(昭和40年)に三穂稲荷に合併し、現在の「三穂道別稲荷神社」となりました。

清澄三丁目北部町会による『三穂 道別 稲荷神社の由来』には、以下のように記されています。

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「御府内寺社備考』[神社]に「深川海辺大工町裏町 満穂稲荷社 境内除地四十八坪持添 町並御年地五十六坪 当社者慶長元申年[1596]起立之由」と書かれ(慶長18年[1613]、寛永7年[1630]との説もある)、『寺社書上』には「深川元町神明別当泉養寺持」とあり、『葛西志』には「里人の伝に、古は社地わずかに三坪あり、世に三坪の稲荷といへり」とも書かれています。ここ小名木川の南岸は海辺で、埋め立てられた土地であるといわれています。小名木川の関係で船大工の集落ができ、海辺大工町と呼ばれるようになったと思われます。
当神社は、いにしえ、泉養寺の管理であったこと。泉養寺(現・市川市国府台)は、深川の開拓者・深川八郎右衛門一族の菩提寺であります。また、社地が三坪だったので、三坪稲荷と呼ばれていたのを満穂になり、さらに三穂に変えています。三坪の三が関係しているのかも知れません。
満穂稲荷社とは別にあった道別稲荷の創立は「長禄年間[1457-1460]とも伝えられている」とのこことですが、昭和40年4月に隣り合わせにあった道別稲荷を合併しました。毎年4月15日例大祭ですが、4月15日に近い日曜日に町会の行事として、富岡八幡宮の神主をお迎え、お祓いをいたし、例大祭をおこなっています。

令和元年9月吉日

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最寄駅は、都営地下鉄大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅。

三穂道別稲荷神社(江東区清澄)写真

南側の神社への入口。社標があります。左側の建物は、清澄三丁目北部町会事務所兼神社の社務所となっています。

三穂道別稲荷神社(江東区清澄)写真

細い路地を進むと、社殿にたどり着きます。

三穂道別稲荷神社(江東区清澄)写真

社殿。

三穂道別稲荷神社(江東区清澄)写真

鳥居の扁額。

三穂道別稲荷神社(江東区清澄)写真

北側からの眺め。

MAP

東京都江東区清澄3丁目9−7

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