子安稲荷神社

2019.03.05[ 神社 ]

子安稲荷神社

旧新田堀之内村の鎮守として祀られていた神社 子安稲荷神社

旧新田堀之内村の鎮守として祀られていた「子安稲荷神社」。

創建年代は不明ですが、江戸時代より前からこの地に祀られていたと伝わっています。

徳川家康の江戸入城後は徳川氏の家臣だった斎藤惣左衞門が領主を務めたそうですが、神社の公式ホームページに以下のような逸話が載っています。

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ある日、斎藤惣左衞門が領内を視察しているとき、急に激しい雷雨に見舞われました。斉藤氏が雨宿りをする場所もなく困っていると、森の中から白いひげを蓄えた老人がこちらへ手招きしているのが見えました。
不思議に思いながら、その老人の方へ行くと、斉藤氏は森の中の古い社へ案内されました。やっと雨宿りができると斎藤氏はたいそう喜び、老人に感謝しました。すると老人は「私はこの里の稲荷の使いじゃ。いまの社祠は朽ち果ててしまい、誰も訪れない。汝が社祠を再建し神の尊厳を取り戻す協力をしてくれれば、領内の五穀豊穣を守り、火難などの災いからも守ってやろう」と告げ、そのまま森の中へ消えていきました。
斎藤氏はその老人との約束を守り、この土地の鎮護・産土神と崇め、新しく社殿を建立し、自ら祭事を執り行い奉斎したと記録されています。

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(子安稲荷神社公式ホームページより抜粋)

江戸中期の1715年(正徳5年)、この辺り一帯に疫病が発生した際に、ご霊験により地域の子どもたちが助かったことから、以来「子安稲荷」と呼ばれるようになったそうです。

御祭神は、保食神。

最寄駅は、JR各線「池袋」駅。徒歩10分ほど。大通りから少し住宅街の中に入った、閑静な場所に鎮座しています。

境内社の「猿田彦大神」。

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