十幹森稲荷神社(狛江市東和泉)
2023.03.03[ 神社 ]
かつては圓塚の頂上にお祀りされていたと伝わる「十幹森稲荷神社(狛江市東和泉)」。
江戸時代後期の文化年間(1804年〜1818年)に、京都伏見の稲荷大社より御分霊を勧請し創建されたと伝わっています。当時は圓塚と呼ばれる塚の上(狛江古墳群のひとつでしょうか?)にお祀りされていました。その後明治期から昭和初期にかけて数度の遷座の後、旧社地に戻り現在に至っています。
境内にある『社殿改築記念碑』には、御由緒について以下のように記されています。
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正一位十幹森稲荷神社は文化の頃下泉及泉原住民が京都伏見稲荷神社の御分霊を仰ぎ奉り十幹森圓塚頂上に安置氏子の繁栄五穀豊穣を祈願したるに始る尚其西南位に熊野神社東南位に諏訪神社あり合せて三山の神として村人の崇敬深かりしが明治の御代に熊野諏訪の二神社は伊豆美神社境内に他社と合祀稲荷神社のみ圓塚上に安置のまゝ残り給ふも多摩川大洪水により南河原堤防決壊の為堤側補強の用土として此の圓塚を用う、住民を水害から護るとは云え此為神社は旧熊野神社敷地内跡の一部を借受け明治三十七年に奉遷せり、大正時代に至り氏子三十余軒を数へ昭和三年泉原氏子は小町神官の御意向に従い御分霊を原組氏子の地区に祭る、昭和四年社殿修理の際神社敷地の借地なるを憂い氏子全員毎月二十銭づつを據出後日此を増額爾来七年、昭和十年氏子の熱意と努力に依って旧十幹森敷地の一部即ち現在地を入手、氏子総出動にて整地基礎固めを行い仝年五月三日御神霊を遷座し奉った一同の喜此上無永に安らけく御神霊の御鎮座あらんことを祈った、昭和四十五年一月都道三号線拡張幅為敷地の半を提供其補償金により社殿鳥居狐幟枠玉垣等を新にし御神霊の御遷座を仰ぎ奉る即昭和四十六年二月十二日なり、氏子の祖先京都より神霊を迎えて百五十余年幾多の変遷ありしも常に氏子の信仰は誠心と努力に依って築かれたもので其平和と繁栄は神より授けられたものであると信ず、此處に社殿改築を記念し謹書す。
昭和四十六年十月吉日
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塚は無くなってしまいましたが、お稲荷さまが元の鎮座地に戻ってこられたのは良かったと思います。
最寄駅は、小田急小田原線「和泉多摩川」駅、あるいは「狛江」駅。どちらからも、徒歩約5・6分ほど。
正面の鳥居。
鳥居の扁額。
境内のお狐様。
社殿。
社殿前から見た境内の風景。
『社殿改築記念碑』。
MAP
東京都狛江市東和泉2丁目16−28