國領神社(調布市国領町)
2024.04.04[ 神社 ]
江戸時代には国領宿の鎮守神
國領神社(調布市国領町)
かつて多摩川の畔にお祀りされていた二社が合祀されてできた「國領神社(調布市国領町)」。
國領神社の元となっているのは、鎌倉時代に杉森(現在地より南側・多摩川のそば)にお祀りされた第六天社。薬師寺(現常性寺)持だったようです。また神明社も、創建年代は不明ですがやはり杉森に建速須佐之男命を御祭神としてお祀りされ、同じく薬師寺が管理していたそう。しかし多摩川の度重なる洪水被害のために1640年(寛永17年)に薬師寺が甲州街道沿いに移ることになり、それに伴い両社ともに遷座することとなりました。第六天社は現在の八雲台小学校の北側に、神明社は現在國領神社がある地に移り、江戸時代には第六天社は国領の鎮守としてお祀りされていたと云います。
第六天社は明治の神仏分離によって「國領神社」と改称され、御祭神も神産巣日神に変更されました。また神明社は明治後期に天照大御神を合祀するようになりました。
その後、戦後の宅地開発が進む中で國領神社周辺が都営住宅になることが決まり、神明社の地に國領神社と神明社を合祀、1963年(昭和38年)に改めて「國領神社」として現在に至ります。神社の前には「八雲台小学校」があり、甲州街道の北側は「八雲台」。確証はありませんが、「神明社」は、もともと「八雲神社」だったのかもしれません。。
御祭神は、主祭神として神産巣日神。配祀神として天照大御神・建速須佐之男命。
最寄駅は、京王電鉄京王線「布田」駅。徒歩約5分ほど。
通りの反対側からの神社外観。
正面の鳥居。
拝殿。北に向いています。
『千年乃藤』と呼ばれているという、境内の藤棚。
そばの歩道橋の上からの境内の眺め。
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東京都調布市国領町1丁目7−1