切割神明社(横浜市旭区南本宿町)

2023.06.18[ 神社 ]

切割神明社(横浜市旭区南本宿町)

二俣川村本宿新田の鎮守 切割神明社(横浜市旭区南本宿町)

江戸時代創建・開墾された新田の豊穣を祈願してお祀りされた「切割神明社(横浜市旭区南本宿町)」。

1668年(元禄元年)に、二俣川村本宿新田の鎮守として創建されたと伝わっています。地元では、この高台一帯を表す地名から「原(はら)の神社」とも呼ばれていたそうです。

境内にある案内板の「由緒」には、以下のように記されています。

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神社創建の史料は残されていませんが、氏子の言い伝えとして、「元禄元年(1668年)の創建」と伝えられています。330年前の元禄年間の創建というのは氏子である古い農家の歴史と整合がとれているようです。
江戸時代初期に武蔵國都筑郡二俣川村本宿(現在の本宿町・南本宿町)の原野、山林を開墾して田畑にする「本宿新田」(元禄八年検地)が開発されました。江戸時代の二俣川村本宿は大半が旗本領(本宿町の浄性院を再興した旗本渡邊氏の所領)ですが、幕府領もあり本宿新田の開発が認められました。
新田の人たちは、旱魃や水害、冷害などの天災、飢饉などから家族と田畑を守り、五穀豊穣を祈るために、碓井権右衛門様のご先祖が神社境内の土地を提供し、また、鈴木七郎兵衛様のご先祖が稲荷社の土地を提供して、新田の神社を創建したものと伝えられています。
また、氏子の家では、戦争で出征した若者たちが全員無事に帰ってくることができ、当神社は縁起のよい神社であると言い伝えられています。

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御祭神は、伊弉諾尊・伊弉冊尊。(※本殿には『天照皇大神宮』と書かれたお札がお祀りされています)

現在は北方皇太神宮の兼務社となっているようです。

最寄駅は、相模鉄道本線「二俣川」駅。徒歩約10分ちょっと。

切割神明社(横浜市旭区南本宿町)写真

正面からの眺め。奥に見える大木は、御神木の銀杏の木。江戸時代の旱魃の際に、神奈川神明社・上田神明社・切割神明社の氏子が相談し、三名の若者が代表して大山阿夫利神社で雨乞いをし、銀杏の苗木を持ち帰りそれぞれの境内に植えたのだと云います。神奈川坂の銀杏は枯れて現存していないそうですが、切割と上田の神明社の銀杏は現在も残っています。

切割神明社(横浜市旭区南本宿町)写真

御由緒の書かれた案内板。

切割神明社(横浜市旭区南本宿町)写真

拝殿。

切割神明社(横浜市旭区南本宿町)写真

MAP

神奈川県横浜市旭区南本宿町51

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