勝淵神社(三鷹市新川)

2025.05.07[ 神社 ]

勝淵神社(三鷹市新川)

旧上仙川村の鎮守神 勝淵神社(三鷹市新川)

柴田勝家の「兜」を祀ったという逸話も伝わる「勝淵神社(三鷹市新川) 」。

創建年代は不明ですが、もともと地元の水神を祀ったお社だったと云います。江戸時代には「勝淵明神」と呼ばれ、上仙川村の鎮守としてお祀りされていました。

この辺りは江戸時代初期、柴田勝家の孫に当たる柴田勝重が知行しており、勝重がこの地に勝家の兜を祀ったのが勝淵明神のはじまりだと記した文書があるそうです(Wikipedia「柴田勝重」内「柴田勝家兜埋納伝承」)。境内にはこれに因み「兜塚」が造られています。

また鳥居脇にある『勝淵神社由来』には、以下のように記されています。

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天正十一年(一五八三)織田信長の重臣柴田勝家は賤ヶ岳の戦いに敗れ北ノ庄城城に於て自刃したが、その折、孫の権六郎(三才)に愛愛用の兜を与え郎党を供に、上野国の外祖父日根野高吉の元にのがす。権六郎十六才にして元服、柴田三左衛門勝重と名乗る。慶長四年(一五九九)徳川家康は勝重を召し出し、上野国群馬・碓氷両郡のうち二千石を与える。慶長五年(一六〇〇)勝重は関が原の戦いに初陣、更に慶長十九年(一六一四)大阪冬の陣、翌元和元年(一六一五)大阪夏の陣に従軍し、その戦功により武蔵国多摩郡上仙川村(現新川)・中仙川村(現中原)その他合わせて五百石を加増される。上仙川村に入村した勝重公は村の中ほどの台地(現島屋敷)に陣屋敷を建て住居とし、それより北方の台地水神の森に社殿を建立し、その傍らに祖父勝家公より与えられた黄金の兜を鎮めて、神霊として祀り社号を勝淵大明神とした。
以来四百年、当社は村の鎮守として村民の崇敬の念篤く代々の氏子会により護持されている。

兜塚
兜を鎮めた場所は 兜塚 と称し、神社縁りの史跡として保存されていたが、戦後の一時期荒廃した為、これを憂えた氏子の熱意により、昭和六十三年(一九八八)、現在の兜塚が再建されたものである。

平成二十年十月吉日
勝淵神社氏子会

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御祭神は、水波能売命。

現在は牟礼神明社の兼務社となっているようです。

最寄駅は、京王電鉄京王線「仙川」駅。しかし徒歩だとかなりかかると思います。

勝淵神社(三鷹市新川)写真

神社正面の鳥居。小さな石段を登った先に、社殿があります。

勝淵神社(三鷹市新川)写真

鳥居脇にある『勝淵神社由来』碑。

勝淵神社(三鷹市新川)写真

拝殿。

勝淵神社(三鷹市新川)写真

拝殿前の狛犬。

勝淵神社(三鷹市新川)写真

境内社の稲荷社。

勝淵神社(三鷹市新川)写真

再建された『兜塚』。再建というより「新造」といった趣ではあります。

勝淵神社(三鷹市新川)写真

MAP

東京都三鷹市新川3丁目20−17

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