洲崎神社(横浜市金沢区洲崎町)

2022.11.28[ 神社 ]

洲崎神社(横浜市金沢区洲崎町)

長浜の元村民がお祀りしていた第六天社が起源 洲崎神社(横浜市金沢区洲崎町)

江戸時代末まで第六天としてお祀りされていた「洲崎神社(横浜市金沢区洲崎町)」。

かつて長浜に住んでいいた村民が、1311年に起きた「応長の大津波」によって村が壊滅した後にこの地に移転、その際に、村の鎮守だった第六天社も併せて移設しお祀りしたのが起源と伝わっています。

境内に掲げられている「洲崎神社略誌」には、御由緒について以下のように記されています。

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当社は元富岡村と柴村との間に長浜と字せる所あり、現今は野口記念館のある所にして昔時は十八町も海に突出し、今に長浜千軒と口碑に残れる程にて人家稠密し殷賑を極めしが、応長元年(一三一一年)激浪の為洗い滅ぼされし住民の一部本村に移住す。依って産土神たる鎮守大六天社も同時に此処に移し造営す。
現今の社は天保九年六月十二日の再建にして、明治維新の際、神仏混交を廃せられ洲崎神社と改称す。而して社の鎮座地は他の神社と異なり古き頃より、家津良町道路の真ん中にあり、誠に珍しかりしが明治三十七年二月九日横浜金沢間道路改修に付き現場に移転す。
明治四十年十二月県の訓令第四十九号により四十一年十一月境内の拡張をし四十二年五月拝殿を増築し社殿完成す。
明治四十三年八月十五日本村泥亀鎮座村社日枝神社(祭神大山咋命)同社末社稲荷社二社(祭神一社、倉稲魂命、一社、大田命)合併許可八月三十日処分済み成る。
大正三年二月二十四日同泥亀姫小島無格社十二天社(祭神磐長比売命)を、合併許可三月十日処分済み成る。
大正十年十二月十六日神奈川県告示第三七三号を以て神饌幣帛料供進神社に列せらる。

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御祭神は、主祭神として誉田別命。配祀神として大山咋命・倉稲魂命・大田命・磐長比売命・第六天神。

現在は戸塚にある富塚八幡宮の兼務社となっているようです。

最寄駅は、京浜急行本線「金沢八景」駅。徒歩約8分ほど。

洲崎神社(横浜市金沢区洲崎町)写真

神社外観。

洲崎神社(横浜市金沢区洲崎町)写真

正面の鳥居。

洲崎神社(横浜市金沢区洲崎町)写真

拝殿。

洲崎神社(横浜市金沢区洲崎町)写真

拝殿前の狛犬。

洲崎神社(横浜市金沢区洲崎町)写真

石燈籠の奥に見えるのが、境内社の天王社。

洲崎神社(横浜市金沢区洲崎町)写真

境内の御由緒板。

洲崎神社(横浜市金沢区洲崎町)写真

拝殿脇からの境内の眺め。

MAP

神奈川県横浜市金沢区洲崎町9−28

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