金丸稲荷神社
2020.09.01[ 神社 ]
高須藩松平家の上屋敷に祀られた邸内社が起源と伝わる稲荷社
金丸稲荷神社
江戸時代に、高須藩松平家の上屋敷に祀られた邸内社が起源と伝わる「金丸稲荷神社」。
1683年(天和3年)に、美濃国高須藩の藩主だった松平摂津守の上屋敷の守護神として祀られたのが起源と伝わっています。明治期に屋敷跡が荒木町となった後は、町の鎮守として祀られてきました。
境内にある「金丸稲荷神社由来」には、以下のように記されています。
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この金丸稲荷神社は御祭神に宇迦能御魂大神を奉斎しこの町の守護神として尊崇され今日に至る。
天和三年西暦一六八三年美濃国高須藩主松平攝津守この地一帯を拝領上屋敷とされし折り藩主の守護神として金丸稲荷社を建立奉斎せられしよりと云う。この地を俗稱津の守と云うは松平攝津守の上屋敷跡なるに起因する。
明治五年七月の政令によりこの荒木町が誕生し町の発展は勿論津の守三業地も次第に繁栄し気品高き芸妓と三業の名と共に金丸稲荷大神は荒木町町民の暮らしの中に鎮座せられ爾来百有余年を経るに至る。
大神は和合繁栄財宝出世安全又火伏せの神として崇められ古くは度重なる江戸の大火にも尚大正十二年の関東大震災にもその災禍を免がれたりと伝えらる。
昭和二十年五月二十四日の東京大空襲に際しては惜しくも全町が焦土と化し去ったが町民には一人の死者もなかった事はこれ偏えに大神の霊験あらたかなる由と推察される。
昭和二十七年十一月に現在位置の隣接場所に遷座奉斎し来たるも昭和五十年四月吉日敷地整理のため神社は町内有志及び三業組合又崇敬者の寄進によって再び遷座再興されたものである。
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御祭神は、宇迦能御魂大神。
最寄駅は、東京メトロ丸の内線「四谷三丁目」駅。徒歩2・3分ほど。