蚕影山神社(川崎市麻生区金程)
2022.04.20[ 神社 ]
明治期に養蚕の繁栄を願って創建された「蚕影山神社(川崎市麻生区金程)」。
1889年(明治22年)、養蚕の繁栄を願って茨城県筑波町の蚕影神社の御分霊を金程の山腹に祀り創建されました。現在地には地域の区画整理に伴い1986年(昭和61年)に遷座しました。
境内にある『蚕影山(こかげさん)の由来』と書かれた案内板には、以下のように記されています。
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幕末の安政五年(一八五八年)横浜開港によって鎖国は終り、貿易が始まった。輸出品の大半は生糸、絹織物で占められ、その優れた製品は外国の渇望するところであった。
これを機会に、関東一円に養蚕農家が急増し、現金収入の貴重な途を開いた。こうした機運の中蚕を「おこさま」と呼んで愛育し、養蚕安全のために蚕の神、蚕影山を信仰する心がたかまっていた。
蚕影山信仰の本社蚕影神社は、筑波山の麓、茨城県筑波町に鎮座している。
祭神のワクムスビノカミは、御体から蚕と糸を生んだ我が国養蚕の祖神として、万民の厚い尊崇を受けている。
左右にはハニヤマヒメノミコト、コノハナサクヤヒメノミコトを奉祀している。明治十九年、蚕影神社を勧請したいという村民の意向がまとまり、明治二十二年(一八八九年)金程五三七番地、丘の中腹に蚕影山祀堂を創建し蚕影山を祭った。
それに伴い、氏子によって開桑講社という講組織がつくられた。当時の記録には、尽力した方々の名が記されている。
守護人・伊藤宗照
講社周旋人・臼井定五郎 伊藤増五郎
神社担当人・田邊銕五郎 伊藤珠蔵 宮田庄右衛門 宮田興吉
毎年代参が筑波の本社に詣り、御札を戴き各戸に配布して蚕安全を祈った。二月の初午には養蚕安全の祭祀を行っていた。
しかし昭和初頭、第一次世界大戦の余波を受けて世界的恐慌が日本にも及び、生糸相場は下落の一途をたどった。昭和二年小田急が開通し、これを機に近郊農業への動きが始まり、さらに十二年、戦時体制下に桑園整理が行われ、養蚕は全く姿を消すに至った。
昭和六十一年(一九八六年)六月土地区画整理事業に伴い現在の地に移転祭祀する。
この地の農村史の中で忘れえない蚕影山の由来を記して、後世に伝う。
撰文 白井禄郎
昭和六十一年六月 建之
金程向原土地区画整理組合 理事長 白井金治郎
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御祭神は、埴山姫命・木花咲耶姫命。
最寄駅は、小田急小田原線「新百合ヶ丘」駅。
社殿を正面から。
御由緒の書かれた案内板。
社殿の前には松が植えられています。
お隣は金程会館(公民館でしょうか?)。というか、この敷地内にお祀りされている、というのが正しいところかも。
MAP
神奈川県川崎市麻生区金程4丁目12−10