影取諏訪神社(横浜市戸塚区影取町)
2024.06.05[ 神社 ]
「鉄砲宿」に勧請された武神「影取諏訪神社(横浜市戸塚区影取町)」。
創建年代は不明ですが、この辺りが「鉄砲宿」と呼ばれていたことから武神として崇められている諏訪明神を勧請したと伝わっています。江戸時代後期には山谷新田の鎮守としてお祀りされていたようです。現在地には1907年(明治40年)に遷座しました。
戸塚区役所による案内板には、以下のように記されています。
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創建年代は不詳ですが明治四〇(一九〇七)年に山谷仲町からこの辺りに移転し出来た神社で、周辺が鉄砲宿と呼ばれていた事から武神の諏訪神社を勧請したと言われています。
影取の地名の由来となった影取池は、この神社の奥にあったと伝えられています。
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影取(かげとり)の由来については、神社から少し藤沢方面に行ったところにある案内板『鉄砲宿と影取池の昔話』に以下のように記されていました。
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昔々このあたりにいた長者が自分の蔵に住み着いた大蛇を水神様のお使いとして「おはん」と名付け、大層かわいがっていました。ところが長者の家が没落し、大蛇への餌もままらなくなってきました。それをみた大蛇は長者様に迷惑はかけられないと、近くの池へ去ってゆきましたが、そこには十分な食料が無く、元々大食だった大蛇は空腹に耐えかねると池のほとりを歩く人の影を食べて飢えを凌いでいました。ところが影を食べられた人はだんだん弱ってしまうので、村人はこの池を影取池と呼んで恐れるようになりました。大蛇を退治しようとしたのですが、鉄砲を見ると大蛇は水底深く潜ってしまうので退治できません。村人は一計を案じ鉄砲の上手い猟師に頼み、昔の長者様のように「おはん」と名を呼びました。昔の飼い主が迎えにきたと思いこんだ大蛇は姿を現すと、ついに撃ち殺されてしまいました。いつしか影取池は埋められ影取の名と悲しい話だけが残されました。この大蛇を撃った猟師が住み着いたところを鉄砲宿と呼ぶようになったといいます。
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ちなみに『新編相模風土記稿』には、以下のように記されています。
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昔ハ池アリ池中ニ怪魚スミ夕陽ニ旅客ノ影池中ニ投スルヲ喰ヒシヨリ影取ノ名残レリト云フ
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御祭神は、健御名方命。
現在は藤沢市西俣野の御嶽大神の兼務社となっているようです。
最寄駅は、小田急江ノ島線「善行」駅。しかし徒歩だとかなりかかります。。
神社外観。
正面の鳥居。
拝殿。
拝殿前の狛犬。
拝殿に掲げられた扁額。
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MAP
神奈川県横浜市戸塚区影取町88