兜神社

2019.11.25[ 神社 ]

兜神社

東京証券取引所の鎮守神 兜神社

東京証券取引所の鎮守として祀られている「兜神社」。

境内に掲げられている御由緒板には、以下のように記されています。

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明治十一年ここ兜町に東京株式取引所(東京証券取引所の前身)が設けられるに当たり同年五月取引所関係者一同の信仰の象徴および鎮守として兜神社を造営した。
御社殿に奉安してある「倉稲魂命」の御神号は時の太政大臣三條實美公の揮毫になるものである。
当社は御鎮座後一度換地が行われた。昭和2年に再度換地を行い、兜橋々畔の現在地約六十二坪を卜して同年六月御遷座を行い、鉄筋コンクリート造りの社殿を造営した。
昭和四十四年五月高速道路の建設に伴い御影石造りの鳥居を残して旧社殿を解体し、同四十六年三月現在の鉄筋コンクリート一間社流造・向拝付きの社殿を造営した。
屋根は銅板葺とし、玉垣・参道敷石などは御影石をもちいた。

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日本取引所グループには、もう少し詳しい経緯が記されていましたので以下要約します。

江戸時代後期、現在の鎧の渡付近に平将門を祀る鎧稲荷と兜塚がありましたが、1871年(明治4年)、三井物産の前身のひとつの「東京商社」の移転に伴い、鎧の渡と兜橋の間に移動しました。この時に、兜塚にまつわる逸話の残る源義家を御神霊として「兜神社」が創建されました。

この年にこの一帯が「兜町」と命名され、兜神社は鎧稲荷を合祀し兜町の鎮守として祀られました。そして間もない1874年(明治7年)、三井家が信奉していた三囲神社の境内社「福神社」より大国主命と事代主命の御分霊を勧請し、源義家の祭祀を止めてしまいます。

その後1878年(明治11年)、この地に東京株式取引所(現在の東京証券取引所)が設立され、兜神社の氏子総代となり、以降証券業界の信仰を集めるようになったそうです。現在地には1927年(昭和2年)に遷座しました。

現在の御祭神は、倉稲魂命。合祀神として、大国主命・事代主命。

有力者によって御祭神が替えられてしまった神社、いくつか見てきましたが、なぜ源義家の祭祀を止めてしまったのでしょう?当時、三井家やこの辺りで何かよくないことでも起きたのでしょうか。。

最寄駅は、各線「日本橋」駅。他にも、「茅場町」「三越前」「人形町」の各駅からも近いです。

神社の入り口。少し進んだところに鳥居があります。

御由緒板。

兜岩(兜塚)。いくつかの逸話が伝わっているようですが、境内に掲げられている案内板には、以下のように記されています。

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兜岩の由来
境内に安置してある「兜岩」についてはその昔前九年の役(一〇五〇年代)のころ源義家が東征のみぎりこの岩に兜を懸けて戦勝を祈願したことに由来すると伝えられ兜町という町名はこの「兜岩」に因んで付けられたといわれている。

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