慈眼寺弁財天・豊川吒枳尼真天(足立区千住)

2025.08.06[ 神社 ]

慈眼寺弁財天・豊川吒枳尼真天(足立区千住)

慈眼寺の境内にお祀りされている弁財天・稲荷祠 慈眼寺弁財天・豊川吒枳尼真天(足立区千住)

千住・慈眼寺の境内にお祀りされている「慈眼寺弁財天・豊川吒枳尼真天(足立区千住)」。

慈眼寺は、鎌倉時代後期に創建された新義真言宗の寺院。江戸時代には徳川将軍家の庇護を受け、江戸城北方の祈願所だったと云います。

足立区教育委員会による案内板には、以下のように記されています。

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当寺は、新義真言宗で、山号を千龍山、院号を少智院という。寺伝によれば、正和三年(一三一四)二月、行覚上人が関東巡錫の折に創建、三代将軍徳川家光の時、伝弘法大師作聖観世音菩薩像を安置し本尊とし、江戸城北方の祈願所として葵の紋の使用を許されたとされる。
幕末に編集され、千住宿の故事を記録した『旧考録』によれば、弘化四年(一八四七)四月、東叡山寛永寺の山主(上野の宮様)恋性入道法親王が日光社参の際、宿場本陣に支障があり、当寺が本陣を勤めた。以来、六度寛永寺山主の休息所となった。
また文人墨客との付き合いが深く、特に江戸時代後期の画家建部巣兆との親交から、「巣兆寺」と呼ばれた。
境内にある板碑(貞治六年銘)、地蔵菩薩庚申塔、庚申塔(寛文七年銘)が足立区文化財に登録されている。

平成二十六年三月
足立区教育委員会

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その境内にお祀りされているのが、こちらの弁財天とお稲荷さま。しかしこちらの詳細については、残念ながらわかりませんでした。

最寄駅は、各線「北千住」駅。

慈眼寺弁財天・豊川吒枳尼真天(足立区千住)写真

慈眼寺の山門。

慈眼寺弁財天・豊川吒枳尼真天(足立区千住)写真

慈眼寺の本堂。

慈眼寺弁財天・豊川吒枳尼真天(足立区千住)写真

こちらは豊川吒枳尼真天祠。

慈眼寺弁財天・豊川吒枳尼真天(足立区千住)写真

弁財天祠。

慈眼寺弁財天・豊川吒枳尼真天(足立区千住)写真

弁財天祠を正面から。左下には古い石祠が見えます。

MAP

東京都足立区千住1丁目2−9

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