神明神社(横浜市泉区和泉中央南)

2023.08.15[ 神社 ]

泉小次郎親衡が城館の鬼門除けとして創建 神明神社(横浜市泉区和泉中央南)

「泉親衡の乱」の首謀者・泉親衡が城館の鬼門除けとして創建したと伝わる「神明神社(横浜市泉区和泉中央南)」。

1212年(建暦2年)、信濃国の御家人・泉小次郎親衡が時の執権北条義時打倒のためにこの地に城館を設けた際に、その鬼門除けとして勧請したのが起源と伝わっています。

泉親衡は、鎌倉幕府第2代将軍源頼家の遺児・千寿丸を擁立して北条義時を打倒する計画を進めていましたが、1213年(建暦3年)に露見。泉親衡は捕縛にきた工藤十郎らを殺害し逃亡、その後行方不明となります(泉親衡の乱)。この際数十名が捕縛されたのですが、賛同した者は200名にも及んだと云います。捕縛された中には和田一族の者が複数含まれており、これが後の「和田合戦(和田義盛の乱)」に繋がっていきます。

御祭神は、天照皇大神。

現在は中田の御霊神社の兼務社となっているようです。

最寄駅は、相模鉄道いずみ野線「いずみ中央」駅。徒歩約2・3分ほど。

神社外観。

正面の鳥居。

社殿。

蚕御霊神塔。横浜市教育委員会による案内板には、以下のように記されています。

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横浜市地域有形民俗文化財
蚕御霊神塔

現在、泉区和泉町三六九六番地に所在する本塔は、明治一一年(一八七八年)に造立された角柱塔で、その規格は、高さ七○・五センチメートル、幅三三センチメートル、厚さ三一センチメートルを測ります。
塔の背面には、慶応二年(一八六六年)三月に、霜害のため桑が枯れてしまい蚕を育てることができなくなり、蚕を地中に埋めてしまったことが記されているとともに、台石には、六十余名の連名が見られることから、一村あげて、その時の蚕の慰霊を行ったことを知る貴重な資料です。

平成六年三月
横浜市教育委員会

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MAP

神奈川県横浜市泉区和泉中央南4丁目5−12

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