飯田神社(横浜市泉区上飯田町)

2023.07.24[ 神社 ]

「鯖明神」十二社のうちのひとつ 飯田神社(横浜市泉区上飯田町)

上飯田村の鎮守として祀られていた「飯田神社(横浜市泉区上飯田町)」。

平安時代末期〜鎌倉時代初期の武将・飯田家義が勧請・創建したとも、あるいは1293年(延応元年)に飯田能信が奉斎したのが起源とも伝わっています。創建当初は現在の柳明にお祀りされていたそうですが、江戸時代中期の1672年(寛文12年)に現在地に遷座しました。この地域固有の信仰「鯖明神」十二社のうちのひとつです。

鳥居脇にある泉区役所による案内板には、以下のように記されています。

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境川や和泉川沿いに見られる「サバ神社」の一社で、祭神は源頼朝を主神に宇迦之御魂大神・大山咋神です。伝承によると、飯田五郎家義がお祀りしたといわれています。縄文時代、境川沿いは入り海で、神社の境内の土手から縄文後期の人々が使った注口土器が出土しました。境内の神楽殿は、明治20年頃、飯田学校校舎として使われていました。鳥居前には地蔵像、七観音像、庚申塔、道祖神が立っています。

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また境内にある石碑内の『由緒』には、以下のように記されています。

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勧請年代は定かではないが 往古から当地に鎮座している古社であると伝えられている
社伝に「延應応元年(一二三九)飯田三郎能信、当時の地頭ニ復スルヤ厚キ奉幣ノ儀アリ 猶知行平山源太郎ノ崇敬特ニ深カリシ社ナリ」と伝え 寛政十二年二月 式部権大輔菅原長量が「飯田大明神」の神号額を奉納 また文化十三年二月に神祇管領占部(うらべ)良長が京都から参向して奉幣祝詞を奏上しているから 有数の古社であったことが知られる
新編相模風土記稿に「飯田明神社 鯖明神とも唱ふ 村の鎮守なり 稲荷 山王を合祀す 村持」とある如く境川添いに祀られている往古からの相模七鯖の一社で境の神としての幾多の伝承も残されている
昭和三十年に現社殿を また五十五年には参道並びに境内地の玉垣設置等氏子の赤誠の浄財により各々完成 社頭の面目を一新した

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御祭神は、左馬頭源義朝・宇迦之御魂大神・大山咋大神。

現在は中田の御霊神社の兼務社となっているようです。

最寄駅は、小田急江ノ島線「高座渋谷」駅、あるいは、相模鉄道いずみ野線「いずみ中央」駅。どちらからも、徒歩約20分ほど。

飯田神社(横浜市泉区上飯田町)写真

神社外観。鳥居の右手には、庚申塔やお地蔵様などの石塔群が並んでいます。

飯田神社(横浜市泉区上飯田町)写真

鳥居の先の参道。

飯田神社(横浜市泉区上飯田町)写真

境内の狛犬。

飯田神社(横浜市泉区上飯田町)写真

境内の鐘楼。

飯田神社(横浜市泉区上飯田町)写真

拝殿。

飯田神社(横浜市泉区上飯田町)写真

御由緒の刻まれた石碑。

飯田神社(横浜市泉区上飯田町)写真

MAP

神奈川県横浜市泉区上飯田町2517

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