堀ノ内三輪神社

2020.04.21[ 神社 ]

室町時代創建・「でいろくさま」として古くから慕われてきた神社 堀ノ内三輪神社

室町時代創建・「でいろくさま」として古くから慕われてきた「堀ノ内三輪神社」。

室町時代の享徳年間に、土地開拓の神として奉斎された「第六天社」が起源と伝わっています。かつては「でいろくさま」と呼ばれていたそうですが、(おそらくは明治維新後の神仏分離により)祭神は大国主命に改められ、名称も「三輪神社」と改称されたようです。

境内にある御由緒板には、以下のように記されています。

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堀ノ内の起源と三輪神社の由来

当堀ノ内町会の堀ノ内という地名の起源は遠く徳川期以前にまでさかのぼることが出来る古い地名であります。大森の中の本村としてこの地名は輝かしい伝統と古い歴史に刻まれ現在に伝えられて来ました。徳川期以前すでに大森周辺は武蔵国大森と総称され、その字の呼称でありました堀ノ内が今日まで絶えることなく伝承され住民に親しまれて来たのであります。因みに堀ノ内という地名は屋形に濠を巡らした土地だけに与えられた由緒あるものでありまして伝えられるところによると現在私共の住む堀ノ内は北條時頼の時代(1247〜1259年)における陣屋の旧跡であるとも言われております。徳川期に至り幕政上大森は東大森西大森北大森の三ヵ村に分割されましたが、堀ノ内は東大森村に属し幕府の直轄地として代官がおかれ明治期に至っております。
大森村の中でも当村は本村として早くから拓け住民は代々農業と漁業を生業として栄え豊かな集落を形成して来たのであります。この集落の住民の精神的支柱が氏神であったことは今更言うまでもありません。私共の氏神である三輪神社は、享徳年間(1452〜1456)住民が土地開拓の神として、大国主命を祀り第六天社‐此の地では従来「デイロクサマ」と呼ばれ親しまれて来ました‐と呼び村人の崇敬を集めたのが創始であると伝へられています。大正四年(1915)七月当所内の天祖神社貴船神社を合祀し社殿も改まり神社の威容は大いに高まったのでありますが、昭和二十年四月惜しくも戦禍により一切を焼失しました。その後昭和二十七年八月社殿を新築し現在に至っております。

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現在の御祭神は、大国主命・天照皇大神・高龗神・菅原道真。天祖社・貴船社・天満社を合祀したことによるものと思われます。

最寄駅は、京浜急行本線「梅屋敷」駅。徒歩5分ほどでしょうか。

鳥居。

拝殿。

拝殿前の狛犬。

境内社の北村神社。この地の海苔産業が危機に瀕した際に、その危機を救ったという北村石見守を祀る神社です。

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