花園神社
2016.11.03[ 神社 ]
元は内藤新宿の鎮守神・境内摂社「芸能浅間神社」は芸能関係者にご利益大?
花園神社
江戸開府以前にこの地に大和国吉野山より勧請された稲荷神社が起源と伝わる「花園神社」。その後甲州街道に「内藤新宿」(今の新宿)が開かれてからは町の鎮守として祀られるようになったそうです。
元は現在地より南にあったのですが、寛政年間にその地が旗本の拝領となり参拝できなくなったため、尾張藩の下屋敷の庭に移されたそう。その庭が一年中様々な花が咲き誇っていたことから「花園稲荷神社」と呼ばれるようになりました。
明治に入り一時期「稲荷神社」になったのですが、これは届出の際に「花園」を書き忘れたことが原因とか。そんなこともあるんですね(その後改名願を出して「花園稲荷神社」に復帰)。昭和に入り雷電稲荷神社を合祀、さらに昭和40年に本殿建て替えに際し末社だった大鳥神社も合祀し、あわせて「花園神社」に改称されました。そういった経緯から、現在の御祭神は倉稲魂命・受持神・日本武尊の3柱。
境内の隅には境内摂社として「芸能浅間神社」があります。大火で焼失した社殿を再建するために境内で見世物興行を始めたのが「芸能」とのつながりと伝わっており、現在でも多くの芸能人が奉納しているそうです。
ドラマや映画でも度々登場していますし、現代の新宿の顔と呼ぶにふさわしい神社です。