船方神社(北区堀船)
2026.01.09[ 神社 ]

8世紀創建と伝わる、熊野十二所権現が起源の「船方神社(北区堀船)」。
725年(神亀2年)に創建したと伝えられています。江戸時代までは十二天社と称し、熊野権現を祀る神社だったそう。江戸時代には船方村の鎮守としてお祀りされていました。そして明治期に現在の「船方神社」に改称されました。
鳥居脇にある、東京都北区教育委員会による案内板『船方神社の十二天塚』には、以下のように記されています。
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船方神社の十二天塚
北区堀船四ーー三ー二八 船方神社
船方村鎮守の船方神社は、江戸時代、鬱蒼とした森の中にあって十二天の森・十二天社とよばれました。本殿の右脇柵内にある十二天塚と彫った石陣は、次の伝承にもとづいて建てられたものです。
昔、この地域の荘園領主の豊島清光は子供に恵まれず、熊野権現の神々に祈願して一人の姫を授かります。成人して足立少輔に嫁がせましたが、心ない仕打ちを受けた姫は入間川(=荒川)に身を投げ、十二人の侍女も姫を追って身を沈めたという話が六阿弥陀伝承のなかにあります。十二天とは、この十二人の女をさすと同時に帝釈天をはじめとする神々をいいます。これを密教では世の中を守る神々として非業の死をとげた人々を鎮魂するため塚などの祭壇にまつりました。
密教と深く結びついた熊野信仰もまた、十二所権現・十二社・熊野権現・王子宮・若宮と呼ぶ分霊が、平安時代末期から室町時代にかけて全国各地にまつられましたが、熊野信仰が盛んだった荒川流域の村々では悲しい侍女達の地域伝承と密教の十二天や熊野信仰とが結びつき、船方村の十二天社としてまつられたものともいえます。
なお、この伝承は江戸時代、六阿弥陀参詣の札所寺院によって縁起化されました。しかし、荒川に身を沈めたのは清光の姫でなく、足立庄司の姫だという伝承、姫の父親に実在しなかった人物の登場する点や伝承の時代設定とは異なる奈良時代の高僧の行基が登場する点などのように付会性が強く、縁起の内容は寺院により少しずつ異なって伝えられています。
平成六年三月
東京都北区教育委員会
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現在の御祭神は、日本武尊・大国主命・少彦名命・猿田彦命。
最寄駅は、都電荒川線「西尾久七丁目」駅。

南側からの神社入口の鳥居の眺め。

入口の鳥居。明治40年(1907年)造立。

鳥居脇の社標。

北に向かって細長い参道があり、その先に拝殿が見えます。

拝殿。

拝殿の扁額。

拝殿前の狛犬。

拝殿に向かって左側にある、境内社の水神社。

こちらは拝殿に向かって右側にある、十二塚の碑。
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MAP
東京都北区堀船4丁目13−28









