深川稲荷神社(江東区清澄)
2025.01.06[ 神社 ]
江戸時代創建・かつては「西大稲荷」と呼ばれていたと伝わる「深川稲荷神社(江東区清澄)」。
1630年(寛永7年)に創建されたと伝わっています。当時の町名から「西大稲荷」と呼ばれていましたが、戦後に現在の「深川稲荷神社」に改称されました。
江東区による案内板『深川稲荷神社(布袋尊)』には、以下のように記されています。
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深川稲荷神社は、寛永7年(1630)の創建と伝えられています。
以前は、旧町名の西大工町にちなんで俗に西大稲荷と呼ばれていました。関東大震災(1923)の後の区画整理により町名が変更し、昭和27年頃から深川稲荷神社となりました。
深川七福神のひとつ(布袋尊)として親しまれています。
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また清澄町二丁日自治会による石碑『明治百年記念』には、以下のように記されています。
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深川稲荷神社は祭神字賀魂命にて 寛永七年の創立にして当町会の地域が古い町であることを示している 大正十二年の大震災後の区割整理により町名が一変した 清住町西大工町伊勢崎町の各一部を合併して清澄町二丁目が出来た 清住町は寛永六年弥兵術という人が開発し弥兵術町と称したが 元禄八年清住町と改めた 西大工町は慶長のころ海辺新田といゝ 小名木川の河港として栄えたところて船大工が多く住んていたので深川海辺大工町とも称されたが明治六年西大工町と改められた 伊勢崎町は元木場の一部で神田京橋の材木商の貯木場であり又川時舟組の住居もあった 当町の半分は幕末まで久世大和守の屋敷であった 明治初年頃には近代郵便制度の創始者前島密が住んでいた 明治十三年岩崎弥大郎がこの地を入手して深川神木園を造り名園とした 之が現在の清澄庭園である 大農災後当町に属する所は埋立られ市街地となった 現在三野村合名会社の附近は幕末から明治初年三井家の代表として財界に活躍した三野村利左ヱ門が住んだ邸宅の跡である 中村学園は中村清蔵が明治三十八年小名木川畔に開校し明治時代深川における女子校育の進一の学校で大震災後当地に移転した こゝに明治百年を記念して当町の治革を記し早くから発展してきた由緒ある町であることを伝えるものである
昭和四十三年十一月
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御祭神は、字賀魂命。また現在は「深川七福神」のひとつ(布袋尊)にもなっています。
最寄駅は、都営地下鉄大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅。
正面の鳥居。
社殿前の鳥居。
『明治百年記念』碑。
MAP
東京都江東区清澄2丁目12−12