江島杉山神社(墨田区千歳)

2024.12.28[ 神社 ]

江島杉山神社(墨田区千歳)

杉山検校の屋敷内に祀られた弁財天が起源 江島杉山神社(墨田区千歳)

「本所一ツ目弁財天」として江戸の名所にもなっていた「江島杉山神社(墨田区千歳)」。

1693年(元禄6年)、管鍼法の創始者である杉山検校(杉山和一)の屋敷内に江ノ島弁財天の御分霊を勧請し創建された弁財天が起源です。江戸時代には「本所一ツ目弁天社」と呼ばれ、江戸名所図会にも掲載されるなど江戸の名所として賑わっていたと云います。明治期に「江島神社」と改称、その後境内社として杉山和一を祀る「杉山神社」が創建されますが、先の戦災で焼失。戦後に両社を合祀して「江島杉山神社」として再建されました。

境内にある『江島杉山神社由緒』には、以下のように記されています。

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当社は神奈川県藤沢市江島神社の弁財天を奉斎し、またその弁財天を深く信仰した杉山和一を併せ祀る。
杉山和一(慶長十五<一六一〇>年~元禄七<一六九四>年)は三重県津市の武家の生まれで幼い頃失明し、身を立てるために鍼術を志す。
江戸の山瀬琢一に入門し修行に励む中、江島弁財天の岩屋にて七日七夜の参籠をした。
業が明けた日外に出ると大きな石に躓いてしまうが何か手に刺さる物があり探ってみると、筒の様にくるまった枯葉(スダジイ)の中に一本の松葉が入っていた。
「いくら細い鍼でも管に入れて使えば盲人の私にも容易く打つ事が出来る」
こうして、現在鍼治療の主流である管鍼術が生まれた。躓いた石は「福石」として、本社江島神社の境内に祀られている。この後より深く鍼治を学ぶため京都の入江豊明の元へ入門する。そして江戸で治療所を開くと、その噂は瞬く間に広がった。同時に多くの弟子を輩出し、世界初の盲人教育の場、職業の確立を進めた。寛文十(一六七〇)年一月 和一は六一歳にして検校の位を受けた。その名声により五代将軍徳川綱吉の医師として務めるようになる。
元禄五(一六九二)年五月九日将軍より総検校に任ぜられる。和一が八三歳の時、綱吉公の難病を治療した功により「何か望みの物はないか」との問いに「唯一つ、目が欲しゅうございます」と答え、ここ本所一ツ目に総録屋敷の領地を賜り更に和一が高齢になっても月参りを父かさなかった江ノ島弁財天が敷地内に勧請された。翌年には壮麗な社殿が建立、本所一ツ目弁天社と呼ばれ江戸名所となり、多くの僧仰を集めた。元禄七(一六九四)年五月十八日八四歳没。
明治四年 当道座組織が廃止され総録屋敷も没収されるが、当社は綱吉公が古跡並の扱いとしたため残され、社名も江島神社となる。明治二三年四月杉山和一霊牌所即明庵も再興し、境内に杉山神社を創祀。震災、戦災により二つの社殿とも焼失するが戦後昭和二七年合祀し、江島杉山神社となる。

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上記の通り、御祭神は、市杵島比売命・杉山和一総検校。

最寄駅は、JR総武本線「両国」駅。

江島杉山神社(墨田区千歳)写真

西側にある一ノ鳥居。南側にも入口(鳥居)がありますが、こちらが表参道になっているようです。

江島杉山神社(墨田区千歳)写真

拝殿前の鳥居。

江島杉山神社(墨田区千歳)写真

拝殿。

江島杉山神社(墨田区千歳)写真

拝殿前の狛犬。

江島杉山神社(墨田区千歳)写真

弁天像。

江島杉山神社(墨田区千歳)写真

境内社の稲荷社。

江島杉山神社(墨田区千歳)写真

江ノ島弁天の岩屋を模して造られたという岩屋。

江島杉山神社(墨田区千歳)写真

こちらが、南側にある鳥居。

江島杉山神社(墨田区千歳)写真

鳥居をくぐると、拝殿前に太鼓橋があります。

MAP

東京都墨田区千歳1丁目8−2

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