青渭神社(調布市深大寺元町)

2024.08.07[ 神社 ]

青渭神社(調布市深大寺元町)

水神を祀る、延喜式内社武蔵國多摩郡八座のひとつ 青渭神社(調布市深大寺元町)

水神を祀る、延喜式内社武蔵國多摩郡八座のひとつ「青渭神社(調布市深大寺元町)」。

創建年代は不明ですが、『延喜式神名帳』に記載のある「青渭神社」の論社のひとつと云われています。かつては社前に大池があり、一説にはこの池に棲んでいた大蛇を祀ったと伝えられています。

神社頒布の栞内の『御由緒』には、以下のように記されています。

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当社の創建年月は不詳であるが、往古(三千年〜四千年以前)先住民が水を求め居住した際にその生活に欠く事のできない水を尊び祠(ほこら)を建て、水神様を祀(まつ)ったものと伝えられている。ご祭神は水波能賣大神・青沼押比賣命、又一説には社前大池に棲(す)む大蛇を祀ったとも言われている。神社明細帳等によれば、当社は第六十代醍醐天皇の延長五年(九二七年)に編さんされた「延喜式(えんぎしき)神明帳」所載、武蔵國多摩郡八座の内にて官祭の社で、重き御社であったと伝えられている。往古は社前におよそ五町歩余の境内地があり、大池にこんこんと湧き水あり、青波をたたえていた所から青波天神社とも称された。この池水は干ばつの折も枯れる事がなく、周辺の田用水等に用いられたと言われている。この周辺は武蔵野文化発祥の地と言われ、清水の湧き出るところから人々の生活と密接な関連があったと考えられる。青潤・青波共に水の意であり、水神様を祀った古社であることは疑うことはできない。明治六年十二月郷社(ごうしや)に列せられた。旧深大寺町全域(元・南・東・北町、調布ヶ丘の一部)の総鎮守・総氏神である。社前にケヤキ(槻・ツキ)の老樹がそびえ、市内現存最古の巨木で、昭和四十七年調布市天然記念物に指定された。例大祭は毎年十月第三日曜日に行われる。御社殿も平成の御大典(ごたいてん)事業の一環として再建に努めた結果、平成四年十月無事竣工(しゅんこう)となり、同月二十五日盛大に奉祝祭(ほうしゅくさい)を斎行した。御社殿は権現(ごんげん)造りで建坪三十坪、屋根は銅板葺きである。更に御社殿再建二十周年記念事業として神楽殿を建設し、平成二十八年八月竣工により同年九月四日竣工祭を斎行した。

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御祭神は、青渭大神・水波能売大神・青沼押比売命。

最寄駅は、京王電鉄京王線「調布」駅、あるいは「柴崎」駅。どちらからも、徒歩約30分ほどでしょうか。

青渭神社(調布市深大寺元町)写真

正面の鳥居。

青渭神社(調布市深大寺元町)写真

境内の大欅(ケヤキ)。調布市教育委員会による案内板には、以下のように記されています。

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市天然記念物
青渭神社のケヤキ

所在深大寺元町五丁目一七番地一〇
指定 昭和四七年四月一〇日

神社の境内、拝殿の右前方、道路に近く鳥居の横にある。幹は目通りおよそ五・五メートル、高さ三四メートル。樹齢数百年の老樹であるが、現在なお樹勢旺盛である。
ケヤキは古名では槻(ツキ)といい、『新編武蔵風土記稿』に「社ノ傍ニ囲一丈五尺アマリノ槻の老劇アリ」と、また『江戸名所図会』にも「社前槻の老樹あり、数百余霜を経たるものなり」などと見えて、文化文政の頃からすでに目立つ巨木であった。
なおケヤキは武蔵野の防風林として特色を持っている。また社前を「池の谷戸」とよばれ昔は青波をたたえていたという。この附近から主として縄文時代中期の土器が発見され、殊に打製石斧が多量に出土したのでその製造所があったと推定されるなど、古代人の住居跡である。

平成六年三月三十日
調布市教育委員会

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青渭神社(調布市深大寺元町)写真

短めの石段を登った先に拝殿があります。

青渭神社(調布市深大寺元町)写真

拝殿。

青渭神社(調布市深大寺元町)写真

拝殿に掲げられている扁額。

青渭神社(調布市深大寺元町)写真

境内の狛犬。

青渭神社(調布市深大寺元町)写真

MAP

東京都調布市深大寺元町5丁目17−10

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