末廣稲荷神社(港区赤坂)
2019.11.06[ 神社 ]
江戸時代には黒鍬同心の鎮守として祀られていた神社
末廣稲荷神社(港区赤坂)
江戸時代には黒鍬同心の鎮守として祀られていた「末廣稲荷神社(港区赤坂)」。
徳川家康の江戸入府とともに三河からきた黒鍬が定住したのが赤坂丹後町の辺り。やがてこの地は黒鍬谷と呼ばれるようになりました。その後徳川五代将軍綱吉の時代(元禄14年)に、江戸城内吹上御苑に祀られていた火伏稲荷をこの地の鎮守として遷座させたのが末廣稲荷神社の起源と伝わっています。これは、綱吉の側室だった瑞春院が黒鍬出身だったためと云われています。
明治以降は黒鍬同心が離散、また関東大震災や先の戦災など多難な歴史を辿りましたが、地元の崇敬者によって再興・維持されてきました。
神社の前の急な坂は、こちらの神社があったことから江戸時代より「稲荷坂」と呼ばれていたそうです。
最寄駅は、東京メトロ千代田線「赤坂」駅。「赤坂見附」「青山一丁目」駅からも徒歩圏です。