遊行寺(藤沢市西富)
2024.06.09[ 史跡・公園等 ]
鎌倉仏教のひとつ・時宗の総本山「遊行寺(藤沢市西富)」。正式名称は「清浄光寺」。
鎌倉時代末期の1325年(正中2年)、俣野五郎景平の開基・その弟と伝わる遊行上人第四代呑海による開山と云います。戦国時代に焼失しましたが、江戸時代初期に復興しました。
時宗は一遍上人が開祖。浄土教の一宗派として、当初は「時衆」と呼ばれていました。「踊り念仏」が有名でしょうか。このサイトでは仏教やお寺は基本的に深く掘り下げる予定はないのでこのくらいでご容赦ください。。
遊行寺があったことで、藤沢は「門前町」として発展したとも云われており、それが後の「宿場町・藤沢」に繋がったとも考えられます。
最寄駅は、各線「藤沢」駅。
遊行寺の惣門。
本堂。かなり遠くから撮っているのですが、とにかく圧倒される大きさです。
長生院小栗堂。小栗判官の死後、照手姫はその霊を弔うために出家しここで余生を過ごしたと伝えられています。この裏に、小栗判官の墓があります。
小栗判官とその家臣の墓。
照手姫の墓。
境内にある宇賀神社。『遊行寺の宇賀神』と書かれた案内板には、以下のように記されています。
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遊行寺の宇賀神は、徳川家の祖先、有親公の守り本尊といわれています。
有親公は、遊行十二代尊観法親王の弟子となり、名を徳阿弥と改めました。
応永三年(一、三九六)徳阿弥は、宇賀神に子孫繁栄を請い自筆の願文を添えて当山に勧請しました。
宇賀神は、天女の様で頭上には白玉と白蛇を刻した宝冠をのせていました。のちに、徳川幕府により神殿を奉納されましたが、明治十三年遊行寺が類焼にあった時に焼失し、現在の神殿はのちに再建されたものであります。
宇賀神には賊施の意味があり、この宇賀神を供養尊信する者は、金・衣・食・住・田畑・豊饒の福を授かり、特に金福の徳を授かると伝えられています。
寛政六年(一、七九四)十一月に当山が焼失した際に宇賀神も頬焼し、徳川幕府より白銀参拾枚を再建費としていただいております。
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弁天像。
改めて、本堂の写真。とにかく大きいです。
MAP
神奈川県藤沢市西富1丁目8−1