横浜市戦没者慰霊塔(横浜市神奈川区三ツ沢西町)

2025.08.10[ 史跡・公園等 ]

横浜市戦没者慰霊塔(横浜市神奈川区三ツ沢西町)

神奈川縣護國神社建設予定跡地に建てられた慰霊塔 横浜市戦没者慰霊塔(横浜市神奈川区三ツ沢西町)

横浜市に所縁のある戦争犠牲者の御霊を慰霊するために建てられた「横浜市戦没者慰霊塔(横浜市神奈川区三ツ沢西町)」。

西南戦争から第二次世界大戦にかけての、横浜市に所縁のある戦争犠牲者の御霊を慰霊するために、1953年(昭和28年)に三ツ沢公園内に建てられました。

この場所は、実は戦前に「神奈川縣護國神社」が建てられる予定だった場所。しかし竣工直前の1945年(昭和20年)5月、横浜大空襲により焼失し、その後護国神社の再建は行われませんでした。そのため、長らく神奈川県は「護国神社のない県」となっていました(※現在は有志の方々により神奈川縣護國神社が鎌倉市に造られています)。そして跡地に1953年(昭和28年)に建てられたのが、こちらの横浜市戦没者慰霊塔。

三ツ沢公園内にある案内板『慰霊塔ご案内』には、以下のように記されています。

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慰霊塔ご案内

この慰霊塔は、西南戦争以来、第二次世界大戦に至る戦争犠牲者二万余柱の御霊を永年安置するための慰霊塔であります。
慰霊塔は、二基の塔と、安置堂その他からなり昭和二十八年三月、一〇〇〇万円の経費にて建設されましたが、このうち七〇〇万円は、市民からの募金によったものであります。
塔は門を象徴しており、向って左の塔は、高さ一八米で上部を欠いてあり、下部に「昭和二十年」の五文字を浮き出してあります。
これは、今次大戦ではらった大きな犠牲と破壊を表したものであります。
また、向って右の塔は高さ二十五米で新生日本が雄々しく、将来にむかって発展する姿を表したものであります。

横浜市

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最寄駅は、横浜市営地下鉄ブルーライン「三ツ沢上町」駅。

横浜市戦没者慰霊塔(横浜市神奈川区三ツ沢西町)写真

南側にある、慰霊塔への入口。旧護国神社の参道は、ここから始まっていたのかもしれません。ちなみにこの日は右側にあるテニスコートでテニスの大会が行われており、皆さんが荷物置き場として利用されているようでした。

横浜市戦没者慰霊塔(横浜市神奈川区三ツ沢西町)写真

参道っぽいですよね。

横浜市戦没者慰霊塔(横浜市神奈川区三ツ沢西町)写真

慰霊塔を正面から。

横浜市戦没者慰霊塔(横浜市神奈川区三ツ沢西町)写真

慰霊塔の後ろにあるこちらは、安置堂。

横浜市戦没者慰霊塔(横浜市神奈川区三ツ沢西町)写真

平和記念塔。

横浜市戦没者慰霊塔(横浜市神奈川区三ツ沢西町)写真

『恒久の平和を願って』と書かれた案内板。慰霊塔改修時に設置されたもの。文章を以下に起こします。

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戦後50周年を迎えて、更なる平和への願いを込め慰霊塔を改修いたしました。
この慰霊塔は、西南戦争から第二次世界大戦までの戦争犠牲者の御霊を安置するため、昭和28年3月に建設したもので、左の塔は、先の大戦ではらった大きな犠牲と破壊を表し、右の塔は、新生日本が将来にむかって発展する姿を表しています。
市民の皆様と共に諸霊の御冥福を心からお祈りし、戦争の悲惨さを忘れることなく、恒久の平和を念じたいと思います。
横浜市は、21世紀に向かって、世界に開かれた国際都市づくりを進めていますが、ピースメッセンジャー都市として、今後とも積極的に国際交流活動を展開し、相互理解を深め、世界の平和と発展に貢献していきたいと思います。

平成7年11月1日
横浜市長 高秀秀信

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MAP

横浜市神奈川区三ツ沢西町3

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