鶴見橋関門旧跡
2018.01.03[ 史跡・公園等 ]
幕末に、横浜の治安維持を目的に造られた関門の跡
鶴見橋関門旧跡
幕末の「横浜開港」を機に、1860年に造られた「鶴見橋関門」の跡地に建つ「鶴見橋関門旧跡」。
その後1862年「生麦事件」が発生、更なる治安強化を目的に、東海道の川崎宿〜保土ヶ谷宿間に全部で20箇所の関門(見張り番所)が設けられました。「鶴見橋関門」は川崎側から数えて5番目の番所でした。
これらの関門は1871年に全て廃止されました(鶴見橋関門は1867年廃止)。跡地に建つ石碑は、1968年に建てられたそうです。
なお、現在旧東海道にかかっている橋の名称は「鶴見川橋」。もともとこちら(現在の鶴見川橋)が「鶴見橋」だったのですが、現在は下流側を通る第一京浜に架けられた橋が「鶴見橋」となり、元の橋は名前を譲る形になり「鶴見川橋」に変更されたそう。
最寄駅は、JR京浜東北線「鶴見」駅。徒歩7・8分ほど。
案内板。
石碑。
「関門旧跡」とは言っても、石碑と案内板以外にはこれといったものはありません。。
現在の「鶴見川橋」。