甲州街道常久一里塚跡(府中市清水が丘)
2025.05.30[ 史跡・公園等 ]
旧甲州街道に設けられた一里塚
甲州街道常久一里塚跡(府中市清水が丘)
日本橋から七里のところに設けられた一里塚の跡「甲州街道常久一里塚跡(府中市清水が丘)」。
府中市教育委員会による案内板『市史跡 甲州街道常久一里塚跡』には、以下のように記されています。
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一里塚は旅人に里程を知らせるため、街道の両側に一里(約四キロ)ごとに築かれた塚で、我が国では江戸時代になり制度として確立した。 すなわち、慶長九年(一六〇四)徳川家康は江戸日本橋を起点として東海・東山・北陸の三道に一里塚を築かせ、それを全国に普及させた。
塚上には塚を固めるため榎をはじめ松や欅などが植えられ、これが旅人にとっては日ざしをさける木かげの休所となった。
この常久一里塚跡は、江戸初期に整備された甲州街道の日本橋から七里のところに設けられた一里塚の跡と伝えられているものである。 府中市内では、このほか日新町一丁目の日本電気株式会社府中事業場内にある一里塚跡が「市史跡 甲州街道本宿一里塚跡」として府中指定文化財となっている。
平成十五年三月
府中市教育委員会
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ちなみにこの場所は現在は旧甲州街道ではなく品川街道沿いにあります。これは、後年に甲州街道の道筋が変更されたことによるもの。逆に言えば、この辺りはかつては甲州街道と品川街道が重複していたということなんですね。
最寄駅は、京王電鉄京王線「多磨霊園」駅。
写真下から右上に向かって伸びている道が旧品川道(であり、旧甲州街道)。奥が府中方面。
一里塚を正面から。
府中市教育委員会による案内板。
MAP
東京都府中市清水が丘3丁目15−28