天神山城跡(三鷹市新川)
2025.05.06[ 史跡・公園等 ]
戦国時代のものと思われる城跡「天神山城跡(三鷹市新川)」。
築城年代・築城主ともに不明ですが、16世紀の関東管領上杉氏と後北条氏との争いの中で造られたのではないか、と言われているようです。かつてこの場所には山頂に天神社があったことからこの名称が付けられたそう。
城マニアではない私には、ここが城跡と言われても全くピンと来ないくらい、何もないように見えるのですが、お好きな方が見ると、いろいろと見えてくるものがあるのかもしれません。。
三鷹市による案内板には、以下のように記されています。
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天神山は、江戸時代の地誌である「武蔵名勝図会』に名が見られる、戦国時代の山城です。蛇行する仙川に囲まれた半島状の地形を利用
し、陸続きの北側のみを堀切で遮断し、土塁を設けた単郭式構造です。
堀切には「横矢掛り」という防御性を高めるしかけが設けられ、北西側の急斜面は、自然地形をさらに急角度に切り落とす造作を行っています。極めて簡素な構造をしていますが、自然地形を最大限巧みに活かした築城法は見事です。
築城主は不明ですが、戦国時代を通じて経営されている、武蔵七党村山党金子氏の居館との伝承がある島屋敷村落に、仙川を挟んで隣接しており、島屋敷と強い関連があるものと考えられています。
築城時期も不明ですが、天文年間(1532~1555年)の扇谷上杉氏と後北条氏との合戦に備えて造られた可能性があります。この時の戦いでは、深大寺城に陣を張った難波田弾正(扇谷上杉氏家臣)に対して、後北条軍は直接河越城を攻め、深大寺城での戦いはなかったと伝えられています。天神山城での戦いも伝承されていません。
その名は、かつてこの山頂付近に天神社(現三鷹市新川二丁目1-21)が設けられていたことに由来します。
令和4年3月 三鷹市スポーツと文化部生涯学習課
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最寄駅は、京王電鉄京王線「仙川」駅。
天神山通りにある入口。
中の様子。高台ではありますが、「山」という感じではなく、全体的に平らです。素人目には、遺構らしきものはわかりませんでした。
西側の眺め。左側、暗くなっているところは仙川。中央付近に見える下段のベンチの辺りは、かつての川筋だったところ。
三鷹市による案内板。
MAP
東京都三鷹市新川2丁目5−38