拓魂公苑(多摩市連光寺)
2026.03.12[ 史跡・公園等 ]

満洲開拓犠牲者の御霊を祀る慰霊碑のある「拓魂公苑(多摩市連光寺)」。
満洲国建国後、1945年の終戦まで開拓民として移民した人々「満蒙開拓団」。満洲・内蒙合わせ、27万人が移住したといいます。開拓時および戦禍・そして終戦時の混乱やソ連軍による抑留等により犠牲になった方々を慰霊するために1963年(昭和38年)に拓魂碑が建立されました。そしてその後開拓団ごとの団碑の建立も進められ、現在の「拓魂公苑」となりました。
苑内にある石碑には、以下のように記されています。
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満蒙開拓殉難者之碑建設の由来
この碑は 満蒙の荒野に無残に散った八万の開拓者と その人々を守りつゝ自らも逝った関係者多数の御霊が合祀してあります
昭和七年(一九三二年)はじめられた 満州の開拓事業は 満蒙の天地に 世界に比類なき民族協和の平和村建設と 祖国の防衛という高い日本民族の理想を実現するために 重大国策として 時の政府により行われたものであります
凍土をおこし 黒土を耕し 三十万の開拓農民は 日夜 祖国の運命を想いながら黙々と開拓の鍬を振いました 然し その理想の達せられんとした昭和二十年の夏 思わざる祖国の敗戦により 地と汗の建設は一瞬にして崩れ去り 八万余の拓士と関係者は 満蒙の夏草の中に露と消えていきました
そして そこには未だ一輪の花も供えられたことはないのです
こゝに同志相図り 水漬きこの多摩川の丘に一碑を建てゝ 祖国と民族のために 雄々しく不屈の開拓を闘い抜き そして散っていった亡きこれらの人々の御霊をお祀りすると共に 再びかかる悲しみのおこることなき世界の平和の実現を心からお祈りせんとするものです
昭和三十八年八月
建設委員長 安井 謙
上掲の由来文にもあるように、非業に斃れた満州開拓犠牲者の御霊を祀るべく、関係者相図り、昭和三十二年に国や全国都道府県の強力なご支援と、内閣総理大臣や各国務大臣を歴任された方々など多くの有識者のご理解とご協力のもと、満州開拓殉難者之碑建設委員会(委員長安井誠一東京都知事)が発足し、その後、跡を継いだ実弟の安井謙氏(後の参議院議長)を筆頭とする建設委員会各位の並々ならぬご尽力によって、同三十八年ようやく満州開拓に所縁のある景勝の地、ここ聖蹟櫻ヶ丘の一角を選定して土地を取得し、その中央に拓魂碑を建立、同年八月十日に除幕式が執り行われました。
さらにその後、碑の周囲を取り巻くように、関係者それぞれが在満当時所属していた開拓団ごとの団碑の建立も逐次行われ、その総数百七十三基を数えるに至り現在見られるような拓魂公苑に整備されました。
爾来三十有余年、全国拓友協会と拓魂碑奉賛会の共催のもとに桜花爛漫の四月第二日曜日を「拓魂祭」の例祭日と決め、毎年毎年全国津々浦々から集い来る老若男女の数はたとえ荒天風雨の日となるも一、〇〇〇名を下ることはなく、各々がこの拓魂碑および各団碑の前にぬかずき、香を焚き花を捧げ、在りし日の肉親縁者や同志を偲ぶ慰霊の行事を続けて今日に至りました。
いま、私ども満州開拓関係者の最大の悲願は、この公苑と拓魂碑等の永久護持にありますが、そのための方途として、この度理解ある関係各位のご尽力と、東京都知事のご英断により、これらを都有施設としてお引き受け戴くとともに、爾後の維持管理をもお願いすることとなりました。
それに伴い、ここに全国拓友協会の所有にかかる公苑敷地一六二一㎡及び樹木、拓魂碑、団碑等の一切を東京都に寄付することと致しました。
拓魂よ永遠なれと念じつつ。
平成十三年一月吉日
社団法人全国拓友協会 会長 戸谷義次
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最寄駅は、京王電鉄京王線「聖蹟桜ヶ丘」駅。

拓魂公苑の入口。

苑内の様子。

両脇に見える玉垣のようなものが、開拓団ごとの団碑。

苑内奥にある拓魂碑。

由来等が刻まれた石碑。
MAP
東京都多摩市連光寺3丁目









