田端環状積石遺構(町田市小山町)
2023.12.28[ 史跡・公園等 ]
縄文時代後期のものと思われる祭祀場の跡「田端環状積石遺構(町田市小山町)」。
町田市のホームページには「日本一駅から近いストーンサークル」と謳われています。また「唯一都内で見学できる縄文時代のストーンサークル」なのだそう。
町田市教育委員会による案内板『東京都指定史跡 田端環状積石遺構』には、以下のように記されています。
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田端環状積石遺構は田端・田端東遺跡の中に含まれる史跡で縄文時代中期から晩期(約5,000~2,800年前)にかけての集落、墓地、祭祀場から構成される。周辺の田端東遺跡(南東に隣接する多摩ニュータウン通り)、多摩ニュータウンNo.246遺跡(現小山白山公園)などとともに広域の遺跡群を構成している。
ここでは史跡全体について説明をする。
中期には居住域として利用され、竪穴住居跡7軒、配石2基が発見された。
後期には南北22m✕東西10mの範囲に集団墓地が形成され、50基以上の墓壙が分布すると推定される。墓地上に構築された後期から晩期の環状積石遺構
は周辺に居住する集団が死と再生に関連する祭祀を行った場として想定され、当時の精神文化をうかがう上で貴重な遺構である。
南西に見える丹沢山地、富士山の眺望は遺跡の選地に関連すると考えられ、
冬至には蛭ヶ岳山頂に沈む夕陽が観測できる。現在は環状積石遺構1基、周石墓7基、土壙墓31基、組石6基、堅穴住居跡7軒、配石2基が盛土保存され、環状積石遺構上の同位置には1968年(昭和43年)発掘時の様子に復元された複製が展示されている。
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また復元されたストーンサークル前にある案内板には、以下のように記されています。
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ここでは史跡内の主要な遺構である環状積石遺構について説明をする。縄文時代後期中頃から晩期中頃(約3,900~2,800年前)にいたるまで連続的に構築された遺構で大小の自然礫を帯状に積上げ、長軸(東西)約9メートル、短軸(南北)約7メートルの楕円形を呈し、ほぼ長期上に富士山を望む。また冬至には蛭ヶ岳山頂に沈む夕陽を観測できる。積右の周囲には周石墓7基、土壙墓25基、組石6基がある。積石の内部からは石棒、刻線文石、大珠、玉類、土偶、耳飾、スタンプ形土製品、注口土器、理甕など日常用具以外の特殊な遺物が多数発見されており、本地域一帯に居住する集団の宗教的な場であったと考えられる。
2015年(平成27年)3月
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最寄駅は、京王相模原線「多摩境」駅。徒歩約5・6分ほど。
多摩ニュータウン通りから少し入ったところにある石碑。でも正直わかりにくいです。。
多摩ニュータウン通り側にも入口がありますが、こちらには表向きの案内板すらありません。
多摩ニュータウン通り側から見ると、一番奥まった場所に(復元された)ストーンサークルがあります。
ストーンサークル近影。
案内文にもある通り、南西側に見える丹沢山系の眺めは素晴らしいです。
MAP
東京都町田市小山町3112−2