清水谷公園

2019.11.03[ 史跡・公園等 ]

清水谷公園

「紀尾井坂の変」がきっかけで整備された公園 清水谷公園

「紀尾井坂の変」がきっかけで公園として整備された「清水谷公園」。

ここは江戸時代には紀州徳川家の上屋敷があった場所。このお屋敷から清水が沸き出ていたことから、この付近は「清水谷」と呼ばれていたそうです。

公園ができる契機となったのは、大久保利通暗殺事件(紀尾井坂の変)。暗殺現場のすぐそばに哀悼碑が建てられた後、この一帯が当時の東京市に寄贈され、1890年(明治23年)に「清水谷公園」として設立されました。もちろん、園内の一角には「大久保利通哀悼碑」があります。

湧水は現在は涸れていますが人工池として復元されていますし、アスファルトは少なく、木陰も多いため、都心の一等地の中まさに「緑豊かな都会のオアシス」といった感じ。残暑厳しい日に訪問しましたが、正直公園から出たくなかったです。

大久保利通暗殺現場は、お隣の参議院清水谷宿舎の前。ここにも何かあるのかと思っていたのですが、訪問時は建て替え工事中だったため残念ながら工事用フェンスしか見えませんでした。。

最寄駅は、東京メトロ各線「赤坂見附」駅。徒歩5分ほど。

大久保利通哀悼碑。

玉川上水の石枡。案内板には、以下のように記されています。

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玉川上水の石枡(麹町三丁目2番地先出土)
千代田区指定文化財
2018年(平成30年)4月1日制定

この石枡は1970年(昭和45年)に国道20号線(麹町大通り)の共同溝拡幅工事の際に麹町三丁目2番地先で発見された玉川上水施設の一部です、
玉川上水は、4代将軍徳川家綱の命で1653年(承応2年)に着工し、翌年に竣工したと伝えられています。取水地は羽村の多摩川上流で、四谷大木戸に至る約43kmを開渠で導水し、江戸市内へは石桶や木桶による暗渠で配水していました。
この石枡は江戸市中における木管の一部で、地中深く4段に組んだ大規模な構造を持っていました。1段目と2段目にまたがる部分に木桶の挿入口があります。石枡とともに出土した木桶は千代田区立日比谷図書文化館で展示されています。

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