丸子の渡しの碑
2020.04.26[ 史跡・公園等 ]
かつて多摩川にあった主要な渡し場の一つ
丸子の渡しの碑
かつて多摩川にあった主要な渡し場の一つの跡「丸子の渡しの碑」。
NPO法人多摩川エコミュージアムによって作られたモニュメントには、以下のように記されています。
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始まりは江戸時代初期とされ、江戸と平塚を結ぶ中原街道にかかる渡し。平塚のお酢や相州の物産も渡った。1935(昭和10)年の丸子橋架橋で廃止。
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東京都側にある「丸子の渡し跡」の説明板によると、渡し守子の「もりこ」が転訛して「まりこ」となり、かつては「まりこのわたし」とも呼ばれていたそうで、鎌倉時代の文献にも「丸子(まりこ)荘」「まりこの里」と記されていることから、江戸時代よりももっと古くから渡し場として機能していたようです。
最寄駅は、東急東横線「新丸子」駅。徒歩5分ほど。