久我山東原道標付庚申塔(杉並区久我山)

2025.04.26[ 史跡・公園等 ]

江戸時代中期造立の庚申塔 久我山東原道標付庚申塔(杉並区久我山)

府中道と井の頭道の分岐点に造られた「久我山東原道標付庚申塔(杉並区久我山)」。

府中と江戸・下総方面を結ぶ府中道(人見街道)と、井の頭弁財天参詣への道(井の頭道)が分岐する場所に設置されていた1722年(享保7年)造立の庚申塔で、側面にそれぞれの行き先が刻まれています。

杉並区による案内板『享保七年銘道標付庚申塔』には、以下のように記されています。

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この庚申塔は、道標付庚申塔として、区内で最も古く、享保七年(一七二二)に造立されたものです。
庚申信仰は、「長生きするためには、庚申の夜は身を慎しみ、諸善を行い、徹夜をすべきである」という中国の道教説から始まったようです。それが日本に伝わってからは、中世以降仏教や神道の信仰と習合して庶民の間にひろまりました。
江戸時代には、ここに見られるような青面金剛を本尊として邪鬼を踏まえ、不見、不聞、不言の三猿、二鶏等が彫られるようになり、石塔を造立し、悪疫退散、村内安全等の祈願を行うことが盛んになりました。
この庚申塔は、道標として側面に、「これよりみぎいのかしら三ち」・「これよりひだりふちう三ち」と刻まれ、かつては、井の頭弁財天信仰者の道しるべとなっていたように思われます。
また、この庚申塔は、当初からこの分岐に造立され、願主名も列記されており、近世における久我山の歴史や交通路を知るうえで、一つの重要な資料といえます。
以上のことから、この庚申塔は、杉並区有形文化財として登録されました。
今後とも、私たちもこのような文化財を一層大切に守りつづけたいものです。

昭和六十一年一月
杉並区教育委員会

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神社巡りをしていると、もっと古いものにも出会うことがあるので、江戸時代中期(1722年)というと比較的最近なように感じるのですが、それでも300年以上前に造られたものなんですよね。いま造られたもので、300年後にも残るものって何があるんだろう?と思うと、感慨深いものがあります。

最寄駅は、京王電鉄井の頭線「久我山」駅。

久我山東原道標付庚申塔(杉並区久我山)写真

外観。左に見える道が人見街道(府中道)、右にやや登っているのが井の頭道。

久我山東原道標付庚申塔(杉並区久我山)写真

庚申塔近影。

久我山東原道標付庚申塔(杉並区久我山)写真

庚申塔の側面。こちらには『これよりひだりふちう三ち』と刻まれています(『〜ふちう』までしか見えていませんが)。

久我山東原道標付庚申塔(杉並区久我山)写真

杉並区教育委員会による案内板。

MAP

東京都杉並区久我山5丁目9

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