掃部山公園
2020.11.19[ 史跡・公園等 ]
幕末期の江戸幕府の大老・井伊直弼の銅像が建つ公園
掃部山公園
幕末期の江戸幕府の大老・井伊直弼の銅像が建つ「掃部山公園」。
江戸時代には「不動山」と呼ばれたこの場所は、当時の彦根藩や井伊家のものではなく、明治期に井伊家の所有となりました。そして1909年(明治42年)「横浜開港50年記念」に「開国の恩人」として井伊直弼の銅像が建立されました。それ以降、井伊直弼の官位(掃部頭・かもんのかみ)に因んで掃部山(かもんやま)と呼ばれるようになりました。その後の1914年(大正3年)に横浜市へ寄付され、現在へと続く「掃部山公園」として整備されました。
井伊直弼の銅像は戦中の1943年(昭和18年)に金属類回収令によって撤去されてしまいましたが、戦後の1954年(昭和29年)に再建されました。銅像の高さは3.6m、台座は6.6m。実際に間近で見ると「異様」と言えるほどの大きさです。これと比べると、上野の西郷さんが可愛く思えます(※実際には銅像の高さだけなら西郷さんの方が少し高いのですが)。
井伊直弼といえば「安政の大獄」そして「桜田門外の変」という、どちらかといえば「負」のイメージが強い人物ですが、ここでは「横浜開港の恩人」として顕彰されているんですね。確かに、横浜は「開港」あっての現在の「横浜」ではあります。
最寄駅は、JR京浜東北線「桜木町」駅。徒歩10分ほど。
南東側の公園入口。
井伊直弼像。公園の一番高い場所に設置されています。
ごく普通のコンデジの望遠機能で撮ってこの画。
横浜市政百周年・横浜開港百三十周年を記念して建てられた石碑。
このエリアは公園のほんの一部。この他にも、「山」と呼ばれるだけあって起伏豊かな場所に多くの木々と子供たちが遊べる広場があります。