一石橋
2017.10.30[ 史跡・公園等 ]
歌川広重に「八ツ見のはし」として描かれた、江戸の繁華街にかかっていた橋
一石橋
江戸初期からこの場所にあったと伝えられている「一石橋」。
北橋詰には幕府金座御用・後藤庄三郎の屋敷、南橋詰には御用呉服商・後藤縫殿助の屋敷があったそうで、橋が壊れた時に両後藤の援助により再建されたという逸話があり、この経緯と読み(ごとう)をかけて「五斗と五斗で一石」という洒落から「一石橋」と名付けられたと云われています。
かつては一石橋も含め橋の上からは八つの橋が見渡せたため、「八つ見橋」とも呼ばれていたそう。歌川広重も「名所江戸百景」にて「八ツ見のはし」というタイトルで描いています。しかし残念ながら現在は首都高の存在もあってか、決して「眺めの良い」場所ではありません(橋の形状も当時とは違うものと思います)。
このエリアは江戸の発展とともに大いに賑わい、迷子も多かったそう。当時は迷子がいた場合には発見した地域で保護するという決まりがあったそうで、江戸末期の1857年には「満よひ子の志るべ(迷い子のしるべ)」という石碑が南詰に建てられました。
現在の橋は2000年に改修されたもの。明治期までは木橋だったとのことですが、1922年に鉄筋コンクリート造のものに架け替えられました。
最寄駅はJR各線「東京」駅、東京メトロ半蔵門線「三越前」駅。
「満よひ子の志るべ(迷い子のしるべ)」石碑。碑の左には「たづぬる方」、右には「志らす類方」と記されています。
奥に見えるのが一石橋から見た(新)常盤橋。「常磐橋(もとの常盤橋)」は訪問時改修工事中でした。