羽沢富士
2019.03.29[ 史跡・公園等 ]
昭和の時代の雰囲気漂う団地前に残された富士山信仰のシンボル
羽沢富士
江戸時代に建造されたと伝わる富士塚「羽沢富士」。
富士山信仰は江戸時代に広まりましたが、横浜市内には約40箇所の富士塚が存在するのだそうです。こちらはそのうちのひとつ。
かつては畑の中に祀られていたようですが、現在は「羽沢グリーンハイツ」という団地の前、地域の尾根道沿いに(一部は道路によって削り取られているようですが)残されています。
塚の周りに残されている石碑は年代的には1800年代後期のものばかりで、そういう意味では歴史的には浅いのかもしれませんが、それでも現在まで取り壊されることなく残っているのですから、地域の方の信奉も篤いのだと思います。
この羽沢町やお隣の菅田町は、およそ「横浜」とは思えないような(悪い意味ではありませんよ!)、畑が多く残るエリア。それだけに散歩すると(眼下には高速道路が見えたりしますが)この地域一帯の地形、そして古の時代の風景がイメージできてとても心楽しくなる場所です。
最寄駅は、横浜市営地下鉄ブルーライン「片倉町」駅。しかしこの後西谷と新横浜を結ぶ路線が開通すると、その「新駅」が一番近くになるのだと思います。
こちらが登山道。
山頂にある石塔。
右側の石塔には「浅間大神」の文字が。
登山口の脇にある馬頭観音の石塔。
西側にある石碑。右側は月山・湯殿山・羽黒山神社の参拝記念碑。中央は供養塔。左にある石碑には「仙元大菩薩」(木花咲耶姫のこと)と刻まれています。