蚕種石(町田市相原町)
2023.12.24[ 史跡・公園等 ]
境川流域の養蚕の跡を今に伝える「蚕種石(町田市相原町)」。
江戸時代後期から明治時代にかけて盛んだった境川流域の養蚕。特にこの辺りでは「蚕種石」が信仰を集めていたそうです。かつては八十八夜の頃になると石が緑色に光り出したそうで、それを合図に蚕を孵化させていたというお話も伝わっています。また「蚕種」(こたね・こだね)は「子種」、つまり養蚕だけでなく子孫繁栄も願った当時の農民の思いも込められているように思います。
石の脇にある案内板には、以下のように記されています。
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蚕種石(こたねいし)の由来
今を去る二千八百年前、公家筆頭中臣氏の祖先、天種子命と云う、武勲稀に見る命が、神武天皇東征のみぎり、はるばる九州日向の地より、天皇に従い抜軍の大功を立てられたので、他の命達が此の高い功にあやかる為此処武州相模の里に、天種子のお姿として土に埋もれた山石を清め、蚕種石と名付け、代々あがめ伝えられるもので、特にこの土地を蚕種石谷戸と名付けられ今日に至っている。
斯くて命は、九州筑紫の国莵狭に至り国造の女狭津子姫を娶り、土地の豪族を従え農蚕に励まれたと古文書にも記されているが、たまたま大東亜戦の終局と共に、いつしか由緒ある此の地の石は埋もれ、省みられなかったのを、この地に住む柴田圓治氏が石の由来を知り、矢島藤吉氏を中心に昭和四十二年六月十二日、谷戸の有志十四名と計り、柴田家の屋敷内へねんごろに奉祀した。
後に、柴田家母屋建て直しにより、平成三十一年一月十九日の吉日に、諏訪神社の境外であるこの地に遷座されるに至った。
※滋賀県伊香郡(県社)伊香具坂神社の御祭神こそ実に種子命であることを附記する。
平成三十一年一月吉日
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最寄駅は、JR横浜線「相原」駅、あるいはJR横浜線・相模線「橋本」駅。
外観。白い電柱と、幟用の竿が見える場所にあります。
最初は近くまで来てもわかりませんでしたが、案内板が目印になるのかも。
蚕種石近影。
蚕種石の脇にある案内板。
石の左側には庚申塔が。経緯からすると、こちらがもともとここにあったものなのかもしれません。
MAP
東京都町田市相原町