池之上開運辨財天
2020.01.02[ 神社 ]
江戸時代創建・清水池に祀られていた弁天さま
池之上開運辨財天
旧碑文谷村池之上集落の鎮守として祀られたと伝わる「池之上開運辨財天」。
江戸時代の寛文年間(1661〜1673年)に、常圓寺の日庸上人によって送検されたと伝わっています。かつては清水池の中にあった浮島に祀られていましたが、明治維新後移されたそうです。
社殿の横にある「清水池辨財天由来記」には、以下のように記されています。
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本祠は舊碑文谷村字池之上部落の鎮守にして耕地灌漑水源の守護神たり
寛文年中五穀豊穣子孫長久祈願の為め衾村常圓寺相應院日庸上人の創建する所と傳ふ
社地は古く池中の浮島に在りしが維新の際故ありて東南の池畔に移し後更に現地に遷せり
堂宇は●と芝赤羽有馬候邸内に在りしを請受けて移建せるものなり
昭和七年十月市域擴張に際し當地を公園として東京市に寄附し祠堂また其の管理に移れり
茲に開園に臨み舊氏子一同祠畔に碑を建てて以てこの来由を記すと云爾
昭和十年十二月
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祠がある「清水池公園」は、この弁天さまが祀られていた清水池を中心にした場所。現在は「目黒区で唯一の釣りができる公園」ということで、多くの釣り客で賑わっています。ちなみに清水池は、碑文谷池とともに立会川の主要な水源地です。
最寄駅は、東急東横線「学芸大学」駅。徒歩20分ほど。
清水池。週末ということもあってか、多くの釣り客で賑わっていました。
公園内に鳥居があります。
「池ノ上橋」という小さな橋の向こうに、社殿が見えます。