袖ヶ崎神社
2019.09.01[ 神社 ]
平安末期創建・江戸時代には古蹟社と呼ばれ崇敬を集めた「袖ヶ崎神社」。
1137年(保延3年)の創建と云われています。当初は京都稲荷山より勧請し「忍田稲荷大明神」と称していたそうです。
境内の御由緒には以下のように記されています。
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当神社は東五反田一・三丁目、●四丁目の一部の鎮守社で元、忍田稲荷大明神(しのだいなり)と称し、保延三丁巳年(一一三七年)京都稲荷山より奉斎されました。其後康永三年(一三四四年)越前国丹生郡小川村の鎮守八幡宮の神主山口直可の次男直正が東国へ下向し、当社の神主となり爾来現在まで二十二代累代宮司として奉仕して居ります。真正が神主となった時、神明宮を社の南の方へお祀して当所の地名を以って袖ヶ崎神明宮と奉称、又八幡宮を祀り其後元禄年中に天満宮を、正徳年中に塩竃大神をお祀しました。又厳島大神(弁天様)は東都歳時記に言う御府内弁財天百社番外の四番でありました。
明治維新の際袖ヶ崎神社と改称されました。
当社は徳川三代将軍家光を初め、伊達家細川豊前守等多数諸侯の崇敬あり、古蹟社と称されて寺社奉行直支配でありました。御社殿は江戸時代以来大東亜戦争罹災まで四度類焼、昭和二十二年氏子諸氏の奉賛により仮社殿が竣功、昭和四十二年六月社前の中原街道の擴幅に伴い境内整備と共に社伝其他を新築しました。
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御祭神は、豊受比賣神・天照皇大神・誉田別尊。配祀神として、菅原道真命・武甕槌命・経津主命・塩槌翁命・市杵島姫命。なお、創建時にお祀りされていたという稲荷社(忍田稲荷大明神)は、1908年(明治41年)に桐ヶ谷氷川神社の境内末社として遷座しました。
現在は雉子神社の兼務社となっています。
最寄駅は、JR山手線・都営地下鉄浅草線・東急池上線「五反田」駅。徒歩7・8分ほど。
鳥居。
境内の風景。
境内社。
勝目の句に見えるのが御由緒板。