八幡八雲神社

2019.07.23[ 神社 ]

八幡八雲神社

八王子に所縁の深い二つの神社を合祀した「八王子東の鎮守」 八幡八雲神社

八王子に所縁の深い二つの神社を合祀した「八幡八雲神社」。

八幡神社は、924年(延長2年)、武蔵国国司だった小野隆泰が石清水八幡宮の御分霊を勧請し創建されました。境内の掲示に、経緯が記されています。

==========

●八幡神社の創立
八幡神社は、延長二年(九二四)、武蔵守隆泰が国司の時、此の地へ、石清水八幡宮をまつリ、国土安全を祈願したのが当社の起源であリます。天慶三年(九四〇)、隆泰の長子、小野義孝は、武蔵権之守に任せられて当地に来り、父の遺志を継いで、八幡宮を再建し、任期が満ちたので、此地に永住する事になったのであリます。そして、先ず小野氏を横山氏と改め、追々当地を開拓して、遂に一村落を形造リ横山村と呼びました。之が当八王子の始まリであリます。義孝は八幡宮を中心に祭政一致を行いました。此人が武蔵七党の一つである横山党の始祖で横山義孝と申す方であリます。八幡神社は、実に、八王子草創の神で、当時は横山之庄(八王子を中心に方数里)の総鎮守であリました。又、境内にある横山神社は開祖横山義孝公をまつった社で、その創立は、建保年間(ー二ー三〜ーニー八)であリます。

==========

八雲神社は、もともと後北条氏によって八王子城が築かれた深沢山の頂上に、それよりはるかに古い916年(延喜16年)に奉斎された牛頭八王子権現が起源。境内の掲示に、八幡社に祀られるようになった経緯が記されています。

==========

●八雲神社の創立
八雲神社は俗に天王様と申し、延喜十六年(九一六)大伴妙行が、深沢山(元八王子城山の古い名称)の頂上に奉斎し、天正年間、北条氏照が此山に城を築いてから、氏神として、崇敬しました。天正十八年(ー五九〇)六月落城の時、城兵は、天王の神体を奉戴し、川口村黒沢の地に秘かに逃れ、北条残党の氏神として、崇敬していました。慶長三年(ー五九八)六月、大洪水のため、神体は流失し、遂に八王子新町の北なる、板屋ケ淵に漂着し、暗夜に御光を放ち、現れたのを、六月十三日未明、新町百姓五兵衛という者が之を発見し、自宅土間の臼上に移し、初穂の小麦を煎って供物とし、朝夕礼拝している内、或夜、夢の中に、不思議な神勅を受け、宿長、長田作左衛門の助力を乞い、八幡の社内に遷座しました。それから、承応二年(一六五三)に至リ、八幡宮と棟を並ベ社殿を建て、世に両社と尊崇され、長く当地の氏神となったのであリます。

==========

現在の八王子は、八王子城陥落後に当時の城下町を横山周辺に移動し宿場町として整備されたのが発展のきっかけ。もともとこの地の鎮守だった八幡さまと、八王子の地名の起源となった牛頭八王子権現、象徴的な存在が1箇所に祀られているんですね。現在では「八王子東の鎮守」として祀られています。

八幡神社の御祭神は、誉田別尊。八雲神社の現在の御祭神は、素蓋鳴尊。

JR各線「八王子」駅、あるいは京王八王子線「八王子」駅。どちらからも徒歩10分ほど。

八幡八雲神社写真

大鳥居。

八幡八雲神社写真

参道脇の獅子山。

八幡八雲神社写真

御由緒の書かれた案内板。

八幡八雲神社写真

境内社の横山神社。武蔵七党の一つ「横山党」の始祖・横山義孝を祀っています。

八幡八雲神社写真

境内社。

八幡八雲神社写真

八幡八雲神社写真

MAP

特集

東京ラーメンストリート特集

江戸七氷川巡り

日本橋七福神巡り

「八八幡詣で」でご利益八倍?江戸八所八幡巡り

東京五社巡り

新横浜ラーメン博物館特集