宮内春日神社
2019.06.26[ 神社 ]
平安時代創建・稲毛症の領主だった藤原氏九条家の氏神を祀る「宮内春日神社」。
詳しい創建年は不明ですが、この地に「稲毛荘」が成立した平安時代に、領主であった藤原氏九条家の氏神である大和(奈良県)春日大社の御分霊を勧請し創建されたと考えられています。江戸時代には宮内村の鎮守として祀られていました。かつては境内に鹿が放たれ、「関東の春日様」と呼ばれていたこともあったそうです。
御祭神は、天兒屋命。現在は住吉神社の兼務社となっています。
最寄駅は、JR南武線「武蔵中原」駅。徒歩10分ほど。
鳥居と社標。
参道を進むと二の鳥居が。その先に拝殿が見えます。
拝殿の裏手にある「禁足地」。案内板には、以下のように記されています。
==========
禁足地
春日神附近は、多摩川の流れによって生まれたデルタで自然堤防状の微高地で高瀬といわれている所です。
神社の襄にあります禁足地といわれている所は、新編武蔵風土記稿(文化七〜十一年 西暦一八一〇〜二六)によれば、神霊いとあらたかなれば、近づくときは祟りありとし、あえて近づくものなし、苔むし埋りければ、おのづから朽ちて今はその形も見えず…と記されています。古墳といわれる禁足地が古くから、宮内の人々にとって特別神聖な場所であり、やがて人々の信仰の対象となる社が建立され、その後藤原氏の荘園となり藤原氏の祖神である春日明神が勧請されたといわれている。
また神社由緒概要によると、天平十年(西暦七三八)戊寅の頃、聖武天皇の御子阿部内親王(孝謙天皇)の御病平癒の為、春日明神の霊石に祈願せしに、たちまち霊験現ると、後にその霊石のもとに春日明神が勧請されたといわれている。その霊石は今なほ存せり。その後霊跡の遺物永く保存されしが、いつの頃にか回禄(火事)の厄いに罹り烏有に帰せりと記されています。
平成一九年四月、神社誌発刊に当り発刊記念として禁足地内に、真榊を植樹するに際し掘削したところ、霊石(約一米大)と思われる赤い石と壺が出土されました。故事を尊び霊石と思われる石は、直ちに元の所に丁重に埋め戻されました。出土された壺は神社に保管されて居ります。
平成一九年十月吉日 春日神社
==========