松壽弁財天
2019.05.06[ 神社 ]
「綱下げ松」「弁財天が遣わした白蛇」伝説が今に伝わる弁天さま
松壽弁財天
「綱下げ松」伝説で江戸時代から明治期にかけて観光スポットとして賑わった「松壽弁財天」。
もともとこの松に付けられた「綱」は、豊臣秀吉の小田原攻めの際に、兵が崖下に降りるために結び付けられたものと伝わっています。その当時既にここに弁財天が祀られていたのかは不明です。
そして1822年(文政5年)、多摩川の大洪水の際、流された村民が、松から下げられた白い布を掴み丘に上がり難を逃れました。やがて夜が明け松を見ると、そこには布ではなく、白い蛇がいたそう。この話が元となり「弁財天が遣わした白蛇」伝説が生まれ、江戸後期には『玉川綱下ヶ松八景図』(現代で言えばガイドブック)を見た江戸の人々が「綱下げ松」見物にこの地を訪れるようになり、最盛期には84軒もの茶屋が建ったそうです。
この松は天保年間には枯れてしまいますが、その後も何度か「ブーム」があったようで、松壽弁財天は水難・金運・火防のご利益があるとして信仰を集めていたそうです。
最寄駅は、JR南武線「久地」駅。現在は緑ヶ丘霊園脇にひっそりと(?)佇んでいます。
御由緒の刻まれた石碑。
『玉川綱下ヶ松八景図』の一部。社殿に飾られています。