大綱金比羅神社
2017.03.23[ 神社 ]
「飯綱大権現」と「金刀比羅大権現」がひとつになって港町横浜を護る
大綱金比羅神社
元々別にあった「飯綱大権現」と「金刀比羅大権現」が一つになった「大綱金比羅神社」。
「飯綱大権現」の御由緒は、源頼朝にまつわる説話。「石橋山の戦い」で大敗を喫した源頼朝が当地から安房国へ逃れようとした時、海は大荒れだったそう。思案しながらも眠ってしまった頼朝の夢に飯綱大権現が現れ『汝思い惑はず目指す安房の国に渡るべし、海上に憂いあらば吾よく守護してその難なからしむべし』と告げたそう。この後出航した頼朝は無事に安房国にたどり着いたことから、後に「勝軍飯綱大権現」として祀ったというもの。
ただ頼朝は真鶴から安房へ向かったというのが定説ですし真鶴から安房へ向かう途中に神奈川湊に立ち寄る可能性は、、どうなんでしょう。
一方の「金刀比羅大権現」は江戸時代初期、時の代官伊奈半十郎による創建。「金刀比羅大権現」はもとより海上交通の守り神として信仰されていますので、当地(神奈川湊)にはぴったりの神様です。
明治後期に飯綱大権現(大綱神社)を合祀する形で「大綱金刀比羅神社」に改称。
度重なる裏山(青木山)の崩壊の影響で現在も仮社殿のよう。元々本殿・拝殿があったと思われるところには土台のみが残っています。港町横浜を護る神様の社ですから、早く復興してほしいですね。
現在の御祭神は大物主神、金山彦神、日本武尊、大山祇神。
大鳥居の前の通りは旧東海道。
鳥居横の碑には「大綱大神」「金刀比羅宮」の文字が並んで刻まれています。
境内から南側を望む。かつてこの先はすぐ海だったのですが、現在はビル群。