豊坂稲荷神社
2018.08.30[ 神社 ]
学習院の構内に祀られていた「此花咲耶姫稲荷」が起源
豊坂稲荷神社
もともと学習院の構内に祀られていた「此花咲耶姫稲荷」が起源と伝わる「豊坂稲荷神社」。
学習院は江戸後期に京都で誕生し、明治に入ってから東京へ移転、その後3度目の移転で目白の現在地に落ち着きました。いつから学習院の境内に祀られていたのかは定かではありませんが、関東では「此花咲耶姫」は富士信仰の影響で単独で祀られている場所が多い気がしますので、もしかしたら京からやってきたのかも?かつては、八兵衛と言う人物が管理していたことから「八兵衛稲荷」とも呼ばれていたそうです。
学習院が現在地(目白)に移転する際に、神社は構内を離れ現在地に遷座しました。すぐそばに「市杵島嶋神社」があるのですが、どうやらもともとこの「市来嶋神社」があった場所に遷ったようです。この場所が「豊坂」と呼ばれていたことから、現在の「豊坂稲荷神社」と称するようになりました。
御祭神は、若宇賀女命・木花咲耶姫命。
社標。
境内社にして、もともとこの地に祀られていたと伝わる「市来嶋神社」。かつてはふたつの神社はひとつの敷地(同一の玉垣内)に祀られていたそうですが、戦後の混乱期を経て現在の状況になったそう。