新田神社(大田区)

2018.02.27[ 神社 ]

南朝の忠臣・新田義興の怨霊を鎮めるために創建された、破魔矢の発祥の神社 新田神社(大田区)

神社のすぐそばにある多摩川の「矢口の渡し」にて謀殺された新田義興の霊を鎮めるために創建された「新田神社」。破魔矢の発祥の神社として知られています。

南北朝時代に、父である新田義貞の意思を継ぎ(※この辺り、諸説あります)南朝・後醍醐天皇に仕え、南朝の忠臣として伝えられる武将・新田義興を祀っている神社です。そもそも「義興」という名は、元服時に後醍醐天皇より賜ったもの。一時は鎌倉を占拠する等関東で活躍しました。

足利尊氏の死後に新田義興は鎌倉奪還のため再度挙兵しましたが、当時関東管領だった畠山氏によって派遣された竹沢右京亮と江戸氏の軍勢により多摩川・矢口の渡しで謀殺されます。しかしその後、この手引きをしたとされる船頭は水死、さらには江戸氏は義興の怨霊を見たことにより狂死するなど災厄が相次いだことから、地元民によって御霊を鎮めるために墓と祠が造られたのが神社の起源と伝わっています。

東京地方での怨霊信仰といえば平将門が有名ですが、こちらもかなりの「力」を感じさせる逸話です。。またこの謀殺については、もうひとつ「中将局」の物語もあるのですが、こちらは後日アップする「女塚神社」の頁で。

新田家は、源義家の三男・源義国の子である新田義重を祖とする一族。家宝として、源義家の祖父・源頼信の兄・源頼光から授けられたという「水破」「兵破」の二本の矢が家宝として伝わっていたと云われています。「矢口の渡し」での謀殺とこの伝説を元に、平賀源内が脚色した浄瑠璃「神霊矢口渡」が大ヒット、後には歌舞伎の演目にもなったそう。もともと「義興の矢」として門前で売り出されていたものを魔除けのお守り「矢守」として売り出すように進言したのも平賀源内だと伝わっています。これが、現在多くの神社で供されている「破魔矢」に繋がっているのだそうです。

社殿は先の戦災により焼失。その後昭和35年に、明治神宮で仮社殿として建てられていた神明造の本殿と幣殿を下付され社殿を再建しました。

御祭神は、新田義興。現在は「多摩川七福神」のひとつとして「恵比寿様」も祀っています。

最寄駅は、東急多摩川線「武蔵新田」駅。駅名は言うまでもなくこの神社にちなんだもの。

新田神社(大田区)写真

お詣りした日は「成人の日」で、多くの方が記念撮影を行っていました。

新田神社(大田区)写真

境内社の稲荷社。

新田神社(大田区)写真

御神木の欅。

新田神社(大田区)写真

「うなる狛犬」。新田義興を謀殺した畠山家一族やその末裔が近づくと、決まって雨が降り、この狛犬が唸ったと伝えられています。現存するのは一体のみ。

新田神社(大田区)写真

社殿の裏手にある「御塚」。新田義興の御霊を鎮めるために造られた墳墓。

新田神社(大田区)写真

「多摩川七福神」のひとつとして「恵比寿様」を祀っています。その奥は、お正月だけ公開されているという神輿舎。

新田神社(大田区)写真

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